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最終更新:2024年10月8日
駅名は、地名に基づき、少なくとも同じ地域では紛らわしい名前を避け、(路線名も含めて)方角や位置関係がわかるものになっている必要があります。地名には字(あざ)から都道府県まで大小があり、駅勢圏の大小や駅等級が駅名にも反映されていれば直感的です。
ゲーム「A列車で行こう」では、1つのマップにいくつもの路線をつくり「路線網」を構築します。駅名は、マップ全体の路線網をよく考慮して、重複や紛らわしさのないように決めていきます。
はじめにお断りしておかなければなりませんが、『駅名のつけ方』という言いかたは荒唐無稽で非現実的、一言でいえば「そんなものはない」というものです。現実には、いろいろな時代に、いろいろな地域のそれぞれの駅に、それぞれの関係者の考えや責任のもと、駅名が決められてきています。「駅名のつけ方」は時代によって変わります。「駅名のつけ方」というハウツー本やマニュアルがあるわけもなく(※旧国鉄にはあったかもしれませんが、それは国鉄という名のお役所仕事を完遂させるための例規集であって、民間にまで通用するものではありません)、駅名というものを新たにつける必要に迫られたとき、「鉄道の父」井上勝が“エイヤ”でつけたそのときそのときのその場での関係者がよく考えて、『我田引鉄』の宰相が“エイヤ”で決めたじぶんたちの責任で決めるものです。めったにないことなので、当事者になれば前例に倣おうとするものです。その結果として、何らかの一定の「駅名の決まり方」のようなものは浮かんでくるかもしれませんが、あくまで1つ1つの駅名は、その場で決まっているのです。逆に言えば、それだけ駅名は重いものだということです。駅名は、1つ1つが大切なもので、その駅名に決めた当事者にしてみれば、それ以外の駅名はありえないというかけがえのないものです。現実の駅名を蒐集して、じぶんのものでもないのにわがもの顔で分類する人もいるかもしれませんが、分類という方法がなじまないにもかかわらず強引に分類してしまう(いわばレッテル貼りに終始する)あまり、いたってふつうのどこにでもいるありふれた駅名を軽視して、珍妙なもの(例外的なケース)ばかりに目を奪われてゆくことになりがちで、バランスが悪いと言わざるを得ません。「駅名のつけ方」という軽すぎる言いかたも、あくまでゲームの中だけにしておきましょう。
一方で、「駅名のつけ方」という仮想的な考え方で物事を見ていくことは、よい勉強になります。ここでは理科の地学分野と社会科の日本史を入口に、みなさんがもしかすると大学で学んでゆくことになる経済学、行政学、農学あたりまでを俯瞰できればと思います。このような立場から見る「駅名というもの」は、ネーミングのセンスを競ったり感性で観賞したりする芸術作品ではなく、ひたすら機能性と実用性のために存在するものということになります。新しく駅名をつけるときの、まさに「駅名のつけ方」としては、ちょっとやそっとのことでは変える必要のない恒久的な名前を熟議によって見出していかなければなりません。複数の案が対立したときは、経済効果を試算したり社会調査を行なったりして検討すべきで、単なる多数決というのは最悪の方法といえます。駅名にこだわりのある人には物足りないでしょうが、駅名というものが持つ公共性を理解するようにしましょう。
※「分類」:ウィキペディアの「日本の鉄道駅一覧(にっぽんのてつどうえきいちらん)」は「五十音順」に並べて索引にしたもの。これは「分類」とは異なります(分類と索引の違いを理解しましょう)
※「蒐集」:いわば駅名をモノ扱いしてしまうような態度のこと(年代も地域も異なる駅名を乱暴に同列に並べて優劣を決める品評会のようなことをしてしまうこと)
※「俯瞰」:どんな専門分野があるのか知るところまで。専門分野そのものには立ち入りません(正規の課程を専攻した専門家に敬意を表して、安易な「入門」はしません)
※「つけ方」と「決まり方」(という言いかた):「駅名」は人間が決めるもの。自然現象がひとりでに起こるかのような言いかたはしません。じぶんが探究(専攻)する分野が自然科学なのか社会科学なのかしっかり区別しましょう。あえていえば「駅名の規則性」「命名のパターン」でしょうか(「間違えやすい駅名」「珍しい駅名」などの具体的な問題意識のもとで対象を限って言及するときに、あらゆる駅名を対象にするかのような漠然とした言いかたはしません)
※「芸術作品」:駅名のほか、橋やトンネルなどの名前は責任者や功労者その他の有力者などの筆による「揮毫」が前提で、そこから遡って、命名そのものもそうした人々に委ねるという考えが出てくるのかもしれません(初代大臣には字のうまい人を任命しましょう)
上記の手順は、ある土地に人が定住し土地利用が生まれ地名がつき鉄道が通り駅ができて駅名がつくまでの成り立ちを示しています。ゲームの中で本当にこの通りの順番にするのはたいへんです。ゲームでは後付けになってもよいので、ゲームのマップの中で確かにそのような順番の成り立ちがあるかのように見えるようにしていくと「リアル」になるでしょう。地形も地名も駅名も本物と同じにする(『再現する』)ことだけが「リアル」なのではありません。地形を立体的にとらえ、先史時代から現代までの時間の経過も考えた“奥深い”駅名をつけて、「リアル」な物語をつくりましょう。その根幹となるのが地形であることを再確認してゲームに臨みましょう。自然に生じた地形(起伏)こそが何にも勝る天然の物語です。起伏がまったくない「テンプレート」の「平地」を使っていては、地名も駅名も考えることができません。すべてが恣意的で不自然(人工的・平面的・一面的)になってしまい、およそ「リアル」になど、なりようがないのです。「A列車で行こう9」の「マップコンストラクション」にある「地形の自動生成」は、1000回遊べる『不思議のA列車』と呼べるほど自然な感じに見える地形データをうまく生成してくれます。これを積極的に使いましょう。
※「列挙」:目に留まったものだけでなく、すべてを漏れなく挙げること・「よく観察し」:見落としのないよう何度も見方を変えながら見ること(知っているものだけを見つけて終わりにするのでなく、知らないものが残っていないかを確かめ、知らなかったものがあったらその場で知る)
※ゲームのマップにシナリオが用意されているときは、それに従います
※「年代を意識して」:先史時代にまで遡るかもしれない(神話の舞台のような)非常に古い地名から、明治期くらいの(開拓地につけられた)やや新しい地名まで
中間駅の駅名のつけ方と駅以外の鉄道施設の名前のつけ方
- 中間駅の駅名は、所在地の市町村名を採り、同一の市町村に複数の駅がある場合は方角などをつけます
- トンネルや橋、高架橋それに変電所と踏切、信号場の名前には、より細かい町名を採ります
町名が同じ近隣の箇所に複数の同一の種類の施設をつくる場合は「第一」「第二」をつけます- 大きな操車場や車両工場の名前は、駅名に準じます
ここでいう中間駅とは、路線の分岐がなく終点でもない駅のことです。乗換駅ではない「ふつうの駅」とも呼べるでしょう。このような駅では列車の折り返しがないので、列車の行先表示(サボや電光掲示板)に使われることのない駅名ということになります。地元の人がわかればじゅうぶん(音で聞いてわかればじゅうぶん)ということで、どんなに『難読』の地名であっても、そのまま駅名になるわけです。
ところで、ある地名や駅名が『難読』であるかどうかは主観的です。知っている地名や駅名は読めて当然で『難読』でもなんでもありません。単に自分が知らないというだけで『難読』と呼びつけるのも、その地名や駅名を読めなかったことを正当化する言い訳のようになってしまいます。おおかたの人が知らないようなものを持ち出してきて自慢したりクイズにしたりするのはほどほどに。また、知らなかったことを知ったときにとる、より望ましい態度を身につけておきたいものです。
マップの中心地とマップの外
- マップの中心地(最大の商業集積地区:CBD)の位置はマップの真ん中とは限らず、さらにはマップの中にあるとも限らず、マップの外にあることにしてもOK
- マップの最初の駅(ターミナル:terminal)は、所在地の細かい地名ではなく地域全体を代表するような駅名にします
- マップの外(隣町)に通じる路線では、マップの外(目的地:destination)の駅名もつけます
※「所在地の細かい地名ではなく地域全体を代表するような駅名に」:「丸の内駅」でも「千代田駅」でもなく「東京駅」であるように
※「マップの真ん中とは限らず」:マップの真ん中から始まるゲームで、ゲームの開始直後にまったく移動することなく(何も考えず)その位置(マップの真ん中)につくった駅を、マップ全体の地形・地勢を見ないまま(何も考えず)中心駅とすることのないように
※「マップの外」:マップの外(東西南北それぞれ)には、マップの中の端から端までの距離のゆうに10倍以上の距離まで(対数的に)路線が延びているのだと想像してみましょう英語圏では「グランドセントラルステーション」のように、地名をまったく含まない駅名もあるでしょう。ゲーム「A列車で行こう」でも、地域の名前を決めないうちは「グランドセントラルステーション」のようなつもりで、とりたてて駅名をつけないまま遊んでもよいのです。「駅名のつけ方」と題していながら「駅名をつけなくてよい」という話をするのは奇妙に思われるかもしれませんが、よほど存在感のある駅は、ただ存在しているだけでじゅうぶん。わざわざ駅名で呼ばれる必要がないほど堂々としているものです。
そして、「グランドセントラルステーション」のような駅名でいう「セントラル」は、地域を代表する(中核をなす)という抽象的な意味で、必ずしも地域の真ん中にあるとか地図の真ん中にあるとは限りません。ゲーム「A列車で行こう」でも、マップの中で最大の駅を、マップの真ん中に置く必要はないのです。わたしたちが不慣れなことをするときに右手と左手がつられて動くことがあるのと似ていますが、マップの真ん中を絶対の基準にして、マップの中で右のほうに置いた駅に「東」をつけ、マップの中で上のほうに置いた駅に「北」をつけてしまう人もいるようです。多くの人にとって南栗橋は北のほうにあり、中央林間は何の中央なのかわからないというのは、異論のないことでしょう。
「名前をつける」とはどういうことなのかをよく考えましょう。
駅名を入力すると“落ちる”! それでも…
Windows版「A列車で行こう9」の過去のバージョンや特定の環境(特定のIME)では、駅名を入力(変更)しようとするとソフトが強制終了してしまう(『落ちる』)トラブルがありました。OS標準のテキストボックスを使わず、IMEをAPIで呼び出しているのではないかと思われる「A列車で行こう9」で文字を入力する操作は、いつもひやひやもの。現行バージョンでは直っているかもしれませんが、いまだに一種のトラウマになっていて「A列車で行こう9」の画面で駅名を入力する気にはなれないというベテラン・プレーヤーも多いことでしょう。
苦労して(?)ゲームの画面で駅名を入力(デフォルトの数字だけの駅名から変更)しても、その駅名をかっこよく表示してくれる機能はありません。例えば、「車窓モード」や『運転モード』で『スタフ』(行路が記された「票券」)のように表示してくれるわけでもないし、字幕で大きく表示されるわけでもありません。過去作「A列車で行こう7」の「ダイヤコンストラクション」のように、1つの路線の駅(1つの列車の停車駅)を一覧する機能(『時刻表』を模した表示)もありません。
それでも駅名をつける、正確にいえば「決める」ことによって、デフォルトの数字だけの駅名のままよりも、どの駅がどこにあるのか(土地鑑)を覚えやすくなり、次に何をしようかと考えるのが楽になります。なにより、名前がつくと愛着がわき、つくった駅を大事にしよう(よく考えてつくろう・簡単には壊さないようにしよう)という意識になってきます。画面には入力しないとしても、じぶんのノートなどに駅名を書き留めて、使っていきましょう。
- 「視覚と聴覚による記憶しやすさの比較実験」映像情報メディア学会技術報告(2011年3月8日)
- 「認知地図形成過程の理解に基づく空間移動能力向上支援システム」教育システム情報学会(2018年3月)
- 「鉄道路線図の成り立ちと検索性に優れた位相図化について」デザイン学研究(2002年1月31日)
- 九州運輸局「公共交通マップづくりの勘どころ」(2019年3月)
ある晴れた日の朝に
地名の「もじり」を厳禁とするに足る当然の理由を考える(実在の)地名は歴史そのもので、地域のこころそのものです。「A列車で行こう9」というゲームの中で地名や駅名をつけるという遊びにおいて、そのまま使わせてもらう(お借りする)のはよいですが、何かを茶化したり揶揄したりするような「もじり」をするのはやめておくことにしましょう。
日ごろから安易に何でも見境なく「もじり」をしてしまう人は「適当に改変すればオリジナルの地名になる」あるいは「おもしろおかしくすればみんな楽しんでくれる」としか思っていないでしょうが「もじり」という行為そのものが攻撃的・嘲笑的なニュアンスを帯びてしまうことに注意してください。「茶化すつもりはなかった」「揶揄するつもりはなかった」という言い訳は通用しません。本気で茶化し、全力で揶揄するためのいわば武器であるのが「もじり」なのです。「もじり」には、とてつもないパワーがあります。「もじり」を向けた相手に対するものだけでなく、あなた自身の立場を危うくする作用もあります。武器としての強さを自覚して、適切に扱う必要があるのです。
(実在する)地名は公共財です。「もじり」をする側は、じぶんの地元の地名はもじらず、(無意識であるにせよ)よその地名ばかりをもじりがちではないでしょうか。でも、記事の読者や動画の視聴者の地元かもしれません。地元の地名をもじられたら、どう感じるでしょうか。「もじり」ではなくても、「難読」だからというだけで地元の地名がおもしろがられていたら(例えばTシャツが作られて浅草の道端で安っぽく売られていたら)、どうでしょうか。「地名には著作権がないから何をしてもいい(無料素材として使い放題)」という人もいますが、地名には仮想的な肖像権や同一性保持権が発生しているととらえることもできます。だれか1人が権利の主体(著作者)だというわけではないだけで、地名にはちゃんと、守られるべきものが発生しているのです。公共財といういいかたは抽象的ですが、決して実体のないものではないのです。
「もじり」を「もじり」として表出することには強い作用がともなうわけですが、わたしたち個々人の内面で、着想を得たり想像を拡げたりするためのテクニックとして「もじり」を活かすことは有用です。いくつもの地名を見ながら自然に思い浮かんでくる連想は、だれにも止められません。ただ、そのような個人的で内面的な試行錯誤の過程をそのまま表出しただけで「表現」という活動になるわけではありません。何らかの統合なり抽象化なりを経て昇華させる必要があるのです。「もじり」をしてみせるだけで何かをなしたかのように振る舞うのは感心されません。(あるいは、なるほど確かに思春期の鬱憤を昇華させる人もいるかもしれません。)
ゲーム「A列車で行こう」シリーズを楽しむ(掛け値なしに純粋な)子どものプレーヤーの間では、「もじり」をしようという動機ではなく、ゲームの中で愛着の持てる「駅名」をつけたいということから、なぜか「オリジナルの駅名」を考案しようとしてしまい、周りの人に相談する中で「もじり」を勧められてしまうという構図があります。駅名に限らず「オリジナル」なものを創作するのはプロの仕事です。素人がいきなりできるわけもなく、子どもならなおさらのこと。わたしたちが楽しみたいのは「A列車で行こう」というゲームです。ゲームの中で愛着が持てさえすればよいので、(プロがするような=特許庁に出願できるレベルでいう)「オリジナル」である必要まではないのでした。そもそも「オリジナル」とは、どのように定義すればよいのでしょうか。俳句を仮名の音(読み)だけで考えたとき、組合せは107の17乗になるといいます。10の120乗といわれるチェスには敵いませんが、「駅名ランダマイザー(Z47T-DFK)」が町名を36個ずつ表示するのは、いわば俳句のようなものです。厳密にいえば組合せは有限ですが、実際的に困ることはないというほどの広大な探索空間が、そこにはあるのです。
さらに詳しい「駅名ランダマイザー(Z47T-DFK)」の使用例はこちら
調べてみよう&使ってみよう
ここまでの話の、いったいどこに、これを使えるだろうかということをクイズ感覚で楽しみながら探りあててみてください。もしかすると使わなかったり使えなかったりするかもしれませんが、それでもすべての勉強は無駄にならないことを保証いたしましょう。いつかどこかできっと使います。たぶん。
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(このサイトの初版公開:2018年8月1日、地域の土地利用の初出:2018年9月28日、地形が気に入らないときはの初出:2019年7月1日、駅名のつけ方の初出:2020年2月10日)
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