要望 - A列車で行こう9

ゲームの中でも豊かな色彩を楽しみたい。これを否定するかのような実装がなされている。日本では男性の20人に1人の割合で、見えにくい色のある人がいる。粘り強く色彩と向き合っていきたい。

DATT-A9DARX通いフリーク

[ in English ]
翻訳結果についてのおことわり(in Japanese)

最終更新:2025年12月8日


色がおかしい(カラーユニバーサルデザイン)

[ Googleの「AIによる概要」で誤った内容が表示される事象について ]

このページでは「A列車で行こう9」の「色がおかしい」という問題について「どこがおかしい?」「なぜおかしくなる?」「どのようにおかしい?」を具体的かつ詳細に列挙して俯瞰します。そして、「色がおかしい」という問題の背景を「色覚特性の違いと中学校の美術」および「色名と色相環」の2つの観点でまとめます。実際の製品がどのように変わればユーザーが満足できるのかについては「カラーバリエーション」および「バスバスばをご覧ください。なお、このページは「カラーユニバーサルデザイン(CUD)」そのものについて解説するページではありませんので、ご了承ください。

色がおかしい

  1. E653系(スカーレットブロッサム)おかしい
  2. 205系「京葉線」の帯の色がおかしい(暗すぎる、紫色に寄りすぎている)
  3. E653系(ブルーオーシャン)色がおかしい
  4. E653系(グリーンレイク)の色がおかしい
  5. 485系の色がおかしい
  6. 特急色」の車両の色が揃っていない(形式ごとにばらばら)
  7. 113系・115系「横須賀色」の色がおかしい、EF66形の色がおかしい
  8. 3DCGならでは金属や塗装の質感を表現する光沢が足りない(ペーパークラフトのように見えてしまう)・透過や反射するガラスの表現がまったくない(車庫は吹きっさらし・屋根付き高架駅のは非透過・ガラス張りのビルに空や夕日が反射しない)
  9. 車両の収録方針における色の捉え方がおかしい(「長野色」がないのに「弥彦色」がある・国鉄の車両などで「標準色」の収録がないものがある・近鉄や東武などのマルーン帯の車両や東急の赤帯半蔵門線の紫帯の車両がない、お座敷「せせらぎ」「やまなみ」がない「レッドトレイン」と呼ばれた「赤2号」塗装の50系客車がない(50系客車は収録されているが赤はない)など、収録する車両の色のバリエーションの採り方がおかしい:ラインアップ全体を見たときの色のバランスが悪い・まったく収録されていない色がある)
  10. 電気機関車の赤(交流)と青(直流)で外観が似たものを片方しか収録していない一方でEF81形だけ異様に細かい(帯の有り無しなど)
  11. 井の頭線由利高原鉄道それに静岡鉄道などのように編成ごとに色が異なるものを収録していない(10色ある東急世田谷線は緑色のみ収録:最大の魅力である色のバリエーションを無視して1色を選ぶということと、そのとき緑色を選ぶということがおかしい)
  12. 東京都交通局の車両が都電の旧型車両1形式のみクリーム色が黄色すぎておかしいほか、新型車両などで使われる茶色やピンク色、紫色などの魅力を理解していないと疑う:暖色系の塗色を扱えていない)
  13. 信号機の灯具の色がおかしい(青緑であるべきところが純緑色・橙であるべきところがレモン色
  14. 信号機の灯具の輝度の高さを演出できていない(列車の「動的ライト」と同じ表現をしてほしい)
  15. 赤い紅葉」がない(色覚が原因となって「赤い紅葉」が無視されている疑い・「赤い紅葉」がないにもかかわらず公式のスクリーンショット動画コンテストのバナーなどで「紅葉」を訴求してくるのが不誠実な態度に見える)
  16. 樹木の幹の色がおかしい、晴天の空の色味がおかしい(赤みがあっておかしい)線路の道床(バラスト)の色味がおかしい(緑みと赤みのある点が混ざっていておかしい)レールの色がおかしい(色相が茶色ではなく紫色に寄っている、期待される茶色より彩度が著しく低い、それを輝度を下げてごまかしている:レールが黒すぎる)
  17. バスの色がおかしい(プログラマがRGB値を適当に打ったような色しかない=色彩のプロの不在を疑う)
  18. 「自家用車」が昭和50年代から平成元年ごろまでのような色しかない
  19. 橋の色違いがない(橋の種類ごとに1色ずつしかない)
  20. 駅の色違いがない(駅の種類ごとに1色ずつしかない)
  21. 橋上駅舎の屋根の色が赤のみ(この赤はどぎつい)
  22. 地下鉄駅の壁の色の帯が黄色のみ(変更できない形で色がついている)
  23. 建物の色違いがない(変化に乏しい上に、泥水のような色変な色になっているものが多い)
  24. 建物の照明の色味鼻水黄緑がかっていて気持ちわるい
  25. 建物の照明の色味にバリエーションがない
  26. 道路のトンネル内の照明がナトリウムランプではない
  27. アジサイツツジの植栽などピンク色のアイテムがない(ペットショップをピンク色1色にするという特異な表現の意図が不明・ピンク色という色に対する中立性を疑う)
  28. ビル屋上の観覧車の赤がマップ内で浮く(実物は光沢があるので空が映るなどして暗い色に見える)
  29. 祭りやレジャー牧場などの一部のテクスチャの色が非常に汚い
  30. タイルや屋根など材質を想像すると想像される色とかけ離れた色になっているものがある
  31. UIの背景部分などで白が効果的には使われていない・半透明表示などをあまり使っていない(UIが平面的で埋没気味)
  32. 「グループ色」のパレットがおかしい(なおせばよいということでなく、『何か新しく実装するたびにいちいち「色がおかしい」ということ』自体をなくしてほしい
  33. 「自社物件に着色する」が緑色なのがおかしい(ハイライト表示することを「着色する」とはいわない、コーポレートカラーを決める機能があるわけでもないのに特定の色で「着色する」のがおかしい:「他社物件を白くする」でもよい)

ストレスフルな不信感と警戒感の連鎖

何が問題なのか

多数派の色覚では一目瞭然

これは一部の神経質なマニアや色の専門家だけが気にするものではなく、人口の97%を占める多数派の色覚のもとで不快感や違和感となるもので、色覚に関して分断を深める恐れのある倫理的な問題です。「A列車で行こう9」の「色がおかしい」という問題は、例えば本作のゲーム画面を見て「色がおかしい」と思わない人(少数色覚者)を見つけようと悪用されたり、色覚特性と性格や知能を結び付ける人権侵害につながる恐れがあります。プレーへの支障の有無といった技術的な問題とは次元が違うことを正しく理解してください。単なる品質管理の問題ではなく、社会的な責任として対応が求められる問題と言えます。

「A列車で行こう9」は、極めて単純で表面的な「色がおかしい」という問題により圧倒的多数の潜在顧客をゲームの内容以前のところでつかみ損ねていると言えます。「色がおかしい」という問題を除いてはまっとうな労作であり佳作である「A列車で行こう9」という作品が「色がおかしい」という問題だけによって評価を得られないばかりか「見てはいけないもの」「腫れ物」のように扱われてしまうのを見せられ続けるのは非常につらいことです。「A列車で行こう9」の「色がおかしい」という問題は、よくある客の不満の声の1つとして片づけられるものではなく、すべての人に関わる社会的な問題と言えます。

色覚特性の違いに起因する「仕様がおかしい」問題

「A列車で行こう9」の「色がおかしい」という問題には一貫して作者らの色覚特性が強く影響していると推察できます。色覚特性は色の再現だけでなくアイテムの構成や機能の設計にも影響します。例えば、本作にEF81は含まれていますが、形状が似ているEF65は省かれています。EF81を収録すればEF65は収録しなくてよいと考えるのは非常に特殊な考えです。建物や橋は形状の種類ごとに特定の1色しか用意されず、カラーバリエーションという考え自体がありません。「アーチ橋」では、レンガと石では色が異なることをわかっていないかのように「アーチ」という形状だけを述べる不自然な説明になっています。企画や実装の中で「色の違い」を過小評価し「形状の違い」を過大評価した選択や決定をしてしまう原因は色覚特性をおいてほかにありません。カラーユニバーサルデザイン(CUD)という観点のみならず、色覚特性の違いに起因して物の考え方そのものに大きな違いが生まれるということが広く知られる必要があります。

色そのものについては、「桜」と「紅葉」の色が“非常に汚らしい”ほか、「マンション」や「ホテル」の色が茶色とも紫色ともつかない中途半端で“汚らしい”色になっています。唯一、ユーザーが選択できるバスの色や「グループ色」では、作者による色の選定に顕著な偏りがあり使い物になりません。逆に、駅名標はJR東日本のデザインを模しており色はおかしくありませんが、ここには別の問題があります。「りんごは赤」「ピーマンは緑」と暗記して育った当事者が「駅名標は何色か」と問いかけて周囲の者を困惑させる光景は想像に難くありませんが、駅名標ではコーポレートカラーや路線カラーとして会社や路線ごとにさまざまな色が使われます。駅名標の色は単なる「物の色」ではなく、色が会社や路線のアイデンティティとなるものです。「代表的な色」が定まらない物であるにもかかわらず特定の1色に固定してしまう実装は他者のアイデンティティの軽視と受け止められる恐れがあります。資料写真を猿真似するのでなく、ゲーム内の駅名標には色を使わない(白黒にする)という能動的な判断ができる必要があります。

色彩は専門家に任せて

このように、色を正しく扱えていないという問題は製品の全域に影響を及ぼしていますが、複数の色を調和させ演出意図を明確化する色彩設計モデルの色を正確に再現する色の監修を外注すれば容易に解決可能です。実際、過去作の「A列車で行こう6」では雑誌「鉄道ファン」の編集部が車両の監修をしていて、色についても正しく再現されていました。過去にできていたことが現在できないはずはありません。しかし、ほかならぬメーカーがその必要性を理解していなかったり、外注したとしても検品ができないために問題が起きているのなら事態はより深刻です。

「トレインコンストラクション」の発売は「色がおかしい」問題の解決にならないだけでなく、さらに悪化させる恐れがあります。色覚特性は人権に直結する重大な個人情報です。ユーザーが何気なく使った色によってユーザーの色覚特性が暴かれてしまうことは防止される必要があり、むやみにRGB値やHSV値を直に編集させる機能を設けるべきではありません。

なお、鉄道と色覚という話題は日本では非常にセンシティブです。個人の色覚特性を公表せよと迫るのは絶対にいけません。それでも、実務上の齟齬が起きないよう開発チームの内部では互いの色覚特性を明らかにしてもらいたいと思います。

色覚特性の違いと中学校の美術

「A列車で行こう9」では、車両や建物、橋などの色、画面(UI)での配色からロゴやパッケージまでの全域で「色がおかしい」「色が正しく扱われていない」という印象が先行します。学校や職場で色覚多様性について学習したり講演を聞いたりしてから「A列車で行こう9」を見直すと、作者の色覚特性が多数派とは異なるのだろう(作者にとっては色がこのように見えているのだろう)という推察に至ります。色彩設計をプロが担当する商業作品とは異なり、限られた人だけですべてを決めるしかない同人作品ではよくある話でしょう。個人の色覚特性を知った上で故意に誤った助言をするのは論外ですが、「色がおかしい」という一種のオウンゴールによって競合相手が自分から脱落していくのを同業者が黙って喜ぶといった現実があるとすれば、何とも世知辛いものです。色覚上の少数派が不利益を被らないよう配慮を尽くすカラーユニバーサルデザイン(CUD)は普及してきていますが、少数派の色覚で作成された“奇妙な”作品に対しては依然として冷淡な沈黙が向けられがち。そのような社会がはたして健全だと言えるでしょうか。

作者の色覚特性のほかに考えられる「色がおかしい」の原因は、色彩に関する教育の格差の存在。「A列車で行こう9」の「色がおかしい」という問題が、開発の初期段階や試作段階では起きたとしても、最終的な発売までに一度も問題視されないことはまずありえません。それにもかかわらず現に「色がおかしい」製品が発売されてしまっているのはどういうことなのかと不思議でなりませんでしたが、「色がおかしい」という問題に気づいたとしても「色がおかしい」という問題をうまく説明できない人がいるのではないかと思い当たりました。「じぶんには汚い色に見える」「じぶんには特におかしな色には見えない」などと主観的なことを言い合っても無意味です。色覚特性の違いに起因する「色がおかしい」という問題について、色覚特性が異なる人の間で共通認識を得るためには色相環を用いた客観的な説明が必要になります。日本の公立中学校では美術の授業で必ず色相環を習いますが、美術の授業が成立していないような学校や、受験科目だけに時間を割く私立校、海外の学校では、その保証がありません。公立中学校の出身者が大多数を占める地域や職場にいると想像もつきませんが、東京や神奈川では私立中学校の出身者が非常に多く、色相環を習っていない人のほうが多いという職場もあるかもしれません。「色相環は学校で習うものではない」と思い込んでいる人にとって、色相環を用いた説明をしようとする人は「専門家でもないくせに生意気だ」「文句が多い」と見えてしまうのでしょう。しかし、日本の公立中学校では美術の授業で必ず色相環を習います。専門的に色相環を使う専門的な職業はもちろんありますが、色相環という知識そのものは常識です。

中学校の美術の授業ではポスターカラーを使ってシステマティックに混色を学びます。特に、有彩色と「白」の混色のために「白」を多く使うので2本入りになっているものもあるほど。例えば、塗装や印刷でいう「エメラルドグリーン」という色は「白」を使った混色で、鉱物のエメラルドを通して見える光の色とは別物です。日本では男性の20人に1人の割合で「赤」の感じ方が弱い人がいるとされています。「赤」が見えない「白」を使った混色はうまくできません。「緑」が見えるからといって「エメラルドグリーン」という色扱えるわけではないのです。日本の公立中学校では美術の授業で必ず色相環を習いますが、本人の意思で学校や専攻(コース)を選ぶ高校以上の学校とは異なり、中学校では生徒の色覚特性への配慮が優先されます。色相環を習うといっても、モノクロで印刷されたペーパーテストで用語の穴埋め問題を解けばよいだけで、色相環をばらばらに切ってから正しく並べ直すといった実技は問われません。これもまた消極的なかたちでユニバーサルだったと言えます。色相環を習ったといってもその程度なので、これ自体はとりたてて深刻な格差というわけではありませんが、色相環を習ったか習っていないか(≒通った中学が公立だったか私立だったか)という違いは大人になってからふとしたときに顕在化して、例えば色彩に関する話が通じないなどの実害を引き起こします。その程度とはいっても無視できるものではありません。

色彩を『色名』で扱ってはいけない

事情あって色彩を色相環で捉えるに至っていない人は、8歳までに覚える漢字で書ける「赤」「青」「白」「黄色」「金色」といった『色名』だけで強引に色彩を扱おうとして失敗するように見受けられます。当然ながら「金色」は「色」ではなく「灰色」は色相環で考える色ではありません。「何色にしましょうか」と聞かれて「金色」と答えてしまう人は、何をどう考えているのでしょうか。「デラックス」イコール「ゴージャス」イコール「ゴールド」イコール「金色」という連想から「金色」を使うとしても、「金を失う道」と書く「鉄道」に「金色」をぶつけるのは「あてつけ」としか受け取られないでしょう。日本の高等学校では「最上位の色」は「紫」だと学びます。もちろん、現代の実務として色彩を扱うときに色に序列などつけるものではないのは当然です。これもまた公立より私立校での活用事例が多いと見受けられる「漢検」とも連動して(漢字を覚えるという目的を兼ねて)日本の伝統の「色名」を暗記させる学校もあるのでしょうか、そのような「色名」ばかりを振りかざし、JISで定められているカタカナの色名をいっさい使わない(「カタカナの色名はまがい物」「すべて漢字で書くほうが正しい」)という極端な態度に陥る人もいるようです。「A列車で行こう9」のウィキでバスの色の1つが「薄い象牙色」と書かれていたのを見たときは本当に仰天しました。色彩に関する教育のうまくいっている事例は見つけやすいでしょうが、うまくいっていないときにどうなってしまうのかという事例にも敏感でありたいと思わせられます。

これまで長年「色弱」と判断された児童には漢字の暗記と同じように『色名』を暗記させるという対応が取られてきました。本人にとっては漢字を覚えることと『色名』を覚えることの間に区別はないのでしょう。小学校の1年生で習う漢字のうち、1文字で色を意味するのは「白」「赤」「青」と「金」。肝心の「色」という漢字を1年生では習わないので「水いろ」や「空いろ」と表記しますが、字面が異なるので「なかま」と認識できず排除してしまう子どももいるかもしれません。2年生で習う漢字には「色」と「黄」「黒」があります。小学校では児童の色覚特性に対して最大限の配慮が尽くされます。結果として「色」について詳しく教える機会は減ってしまいます。小学校の国語としては色について教えるわけではなく、漢字の配当に基づいて色を指す言葉が出てくるだけですが、漢字を無視して言葉の音だけに注意が向くと「きいろ」と「きんいろ」が混同されるに至ります。しかし、そもそも「赤」が見えないと「きいろ」と「きんいろ」ひいては「おうどいろ」の区別がつかず。いままでずっと消極的なかたちでユニバーサルだったと言えるのかもしれません。なお、3年生で習う漢字に「緑」「銀」があります。「灰」は6年生で習いますが、「紫」に至っては中学校まで習いません。「橙」が学校で習わない漢字だから「オレンジ色」忘れられるというのがありそうです。

色覚多様性を前提とした社会へ

色覚特性の違いを乗り越えて色彩に関する実務的なコミュニケーションを可能とするには、色彩を色相環によりシステマティックに扱うことが欠かせませんが、その知識の普及に格差があるのはとんでもないことだというのが本稿の問題意識です。色覚多様性について説明するためにも色相環を使いますが、その色相環をろくに教えない学校があるのでは話になりません。これからの時代を生きる若い人たちは勉強の機会に恵まれているので心配ありませんが、どちらかといえば年長者のほうに大きな心配があります。年長者のほうが地位も影響力もあるので、色に関する年長者の認識や発言は実社会に対して直接の作用をもたらします。

※「赤」が見えないと「ベージュ色」がどのような色なのかを理解することはできません。デバイスの限界としても、カラープリンターの出力やノートPCの画面ましてやプロジェクターやPDPで「ベージュ色」の正確な色味を把握するのは困難です。塗装の場合は現物の塗装のサンプルを屋外の日光のもとで見て確認するのが鉄則です。それまでの話にまったくなかった「ピンク」が唐突に出てくるのは、色彩を色相環で考えず色を指す言葉だけで考えている傍証でしょう。幅広い選択肢を検討するというアピールのつもりで、最も変わり種の色だと本人が思っている「ピンク」を持ち出してきたというように見えます。言葉では「ピンク」と言いますが、「ピンク」と呼べる色の範囲はかなり広く、言葉で「ピンク」と言っただけではどのような色を指しているのか不明です。「ベージュ色」がわからないことを他人に悟られまいという焦りから次々と別の色名をまくしたて「話を逸らす」とともに「話の主導権を握り続けようとする」態度のように見受けられます。「色が全然だめ」という発言の前段には「これ何色?」「これがベージュ色なの?」「本当に?」といった、色覚多様性について承知していなければ意味不明で理不尽な詰問や叱責と受け取られて当然のやりとりがあったのではと想像されてきます。色の話になると過去のトラウマからパニックになって冷静な発言ができなくなる(急に子どものようにわめく)人がいると思っておくべきです。なお、JISで「明るい灰みの赤みを帯びた黄」と定義される「ベージュ色」は「黄色」でもあり「ピンク」でもあります。「これがベージュ色なの?」という照会に対しJISの定義を回答したとでもいうのでしょうか。まったくわかりません。

なお、2025年6月ごろからGoogleの「AIによる概要」で「色覚特性を持つ」「色覚多様性を持つ」という差別的とも受け取られかねない文が生成されてしまっています。SNSのプロフィールに障害や病名を「○○持ち」と表記することが横行しているのをAIが学習してしまったのでしょう。これは本当にとんでもないことです。日本語には「持病の薬」という言い方や慢性症状を指しての「腰痛持ち」といった表現はありますが、生まれつきの色覚特性は病気ではありません。また、波長の異なる光を感じる3つの錯体のはたらきの強弱により生じる色覚特性には一定の型があり、「色覚多様性は個性」と表現するのは不適切です。「奇人変人」の言い換えとして「個性的」や「ユニーク」といった言葉が使われることが多く、人格を攻撃する(からかう)表現と受け取られるおそれもあります。

※SNSは「出会い系」つまり大人だけに許された社交の場です。SNSのプロフィールにどんな障害や病名が書き連ねてあっても「持病の癪が!」とおどけているようなもの。まともに取り合う人などいません。SNS上でしか通用しない毒のある大人の会話を、子どもやAIが無邪気に真似してしまうことは防がねばなりません。実社会における日本語の機微を知らないまま日本語の自然言語処理を実装してはいけません。英語圏で開発されたAIがいかに高性能でも、その足回りとなる日本語の自然言語処理が貧弱なままでは困ります。「A列車で行こう9」の日本語について、詳しくは「日本語がおかしい」をあわせてお読みください。


  1. なぜおかしくなる?
  2. どのようにおかしい?
  3. カラーユニバーサルデザイン(CUD)とは
  4. 色名と色相環

なぜおかしくなる?

色覚に起因学校での色覚検査の廃止の影響もある
デバイスに起因いわゆる非デザイナーが使わせられるモニターの質が低い
資料写真に起因ホワイトバランスの狂った画像や古い印刷物が使われてしまう
エンジニアの知識の偏りに起因HSV表色系を習わない人もいる
オフショア開発に起因言語と文化の違いにより色彩に関する指示が正確に伝達されない
客層の年齢の低さに起因色の誤りを指摘できるだけの分析力や言語化能力を持たない


どのようにおかしい?

色の使い方にはベストプラクティスが存在しており、独自の工夫をする余地はほとんどない。常識に反する色の使い方は、そのようにすること自体が芸術上の表現であるなど強い主張を持つ場合を除いては行なうべきでないという考え方が一般的だろう。例えば、「レインボー」というイメージにするなら「いわゆる虹の7色」明確に区切って並べる。使う色には優先順位があり、色相環を3等分や5等分、7等分など奇数で大きく分けたプリミティブな色(primary)を使うのが先で、それより多くの色数にするときは中間色(secondary)を使う。これを守らず「好きな色」を採るとちぐはぐな印象にしかならない。3等分してから中間色と、そのまた中間色(tertiary)を採ることで12色となるが、そこまで細かく中間色を採ると人工的で理屈っぽい配色になってしまい、見て楽しいカラーバリエーションとは言い難くなってしまう。たいていの用途には5等分と中間色での10色7等分での7色でじゅうぶんである。有彩色のバリエーションをつくる考え方はこれしかなく、「白」と「黒」や「うすだいだい(はだいろ)」などを含む色鉛筆や絵具の「色数」と比べて少ないのではなどと考える必要はない。ゲーム内での合理的な選択肢として提示する「色のセット」(カラーバリエーション)を用意するに際しては、色の数を「数字の大小」として考えてはならず、色相環をどう分割するかという一種の幾何学として考えなければならない。分割の数を奇数にするというベストプラクティスは、偶数では半分ずつに分かれてしまい調和や安定が得られないという感覚(※14歳以下を除く)による。裁判官の数やアンケートの尺度とも同じ考え方である。

実物の色の再現は正確であるべきだという考えを疑う人はいないだろう。ただし、鉄道車両やバスなどの塗装にはデザインの権利がある。許諾を得ずに本物と同一の色にするわけにはいかない。このような場合は、実際に使われている色を集め、似た色については平均を採るようにして、バランスよくカラーバリエーションを用意するという方法がある。上図「望ましいカラー」は、バスの塗装に使われていそうな色をバランスよく用意したものである。つまり、本物のバスと同一の色にはならないことを保証するしかけである。この色を使って実際の都営バスや国際興業バス、京都市営バスなどを再現できるわけではない。はとバスや東京空港交通のリムジンバスをどんぴしゃで再現できる色というわけでもない。それでも、ゲーム内にこのようなカラーバリエーションがあれば、実際のバスよりもカラフルなバスを楽しむことができ、ゲームに彩りを与えるという目的にはおおいに適うだろう。ここではバスだけを考えたが、鉄道車両についても同じ考え方は可能である。仮に対戦型のゲームを作ろうとすれば、ゲーム内の鉄道車両のデザインや色は架空のものにする必要がある。ゲーム内で“敵”の鉄道を妨害するなどの“攻めた”表現をするには、例えば「どう見ても山手線だけど色だけ適当に差し替えました」といったことでは不十分で、デザインや色をゼロから考えたという理屈が立ち、実際の鉄道とは一切関係がないことが明らかであるという状態にする必要がある。

実際の建物や橋の色は、20色相や40色相といった詳細さで繊細にコントロールされている。この細かさをそのままゲーム内でプレーヤーが扱える必要はないだろうが、建物のオブジェクトについて色調を自動的にばらけさせて画面が単調にならないようにするといった実装は考えることができる。橋の色については、色違いの橋が別々のアイテムとして収録されるのでなく、架橋時に色を選択したり、すでに架かっている橋を別の色で塗り替えるといった操作になっているほうが実感的だろう。このように、ゲーム内での色彩に関するリアリティは、単にどのような色にするかということだけでなく、ゲーム内でプレーヤーが色をどのように扱えるのかということにもかかっている。

なお、色の監修と色彩設計は別の業務である。色の監修は、3Dオブジェクトの製作段階と、実際のゲーム画面でのレンダリング結果の2段階で行なう必要がある。色彩設計は、実物をモデルにするオブジェクトとそれ以外のオブジェクトやゲーム画面のUIなどの色彩を調和させる工程である。また、ゲーム内での演出として実物よりも鮮やかにしたり、逆に控えめにしたりといった調整も行なう。資料写真の通りの色でテクスチャを完成させれば終わりというものではない。実際のゲーム内で昼や夜、季節ごとに環境光を変えてレンダリングし、どんな条件で見ても大きな破たんがないようにする。ほかに、低年齢向けのコンテンツではわかりやすい色だけを使うなどの配慮もある。実物をモデルにする部分では色の自由度が低いが、それ以外の部分で色調をコントロールすることで、コンテンツ全体の雰囲気を客層に合わせることができる。「A列車で行こう9」が価格不相応に幼稚な印象に見えてしまうのは、このような色彩設計が行なわれていない(ように見える)からにほかならない。製品の色彩設計がろくに行なわれていないまま製品情報やプレスリリースの文章ばかり馬鹿丁寧なのでは高級感がまったく生じないばかりか、非常に馬鹿にされているという感想にしかならない。ただ、作者らの色覚特性に起因して、結果として「わかりやすい色だけ」になっている(低年齢向けではないのに低年齢向けのような色彩になっている)という事情は加味すべきだ。本当に「A列車で行こう9」は「色がおかしい」という問題を除いてはまっとうな労作であり佳作である。これは筆者の責任のもと断言する。

「トレインコンストラクション」ではUIが新規に製作されており、黒とグレーを基調として白い文字を使う「いたってまともな色のUI」が実現している。このままPS5版やSwitch2版の『新作』ができそうな勢いである。ただ、グレーの部分が意味もなく緑がかった「ねずみ色」になっているのはいただけない。グレーは完全に色味のない(RGBが同値の)グレーにすべきで、もし色味を持たせたいなら、紙の色のようなナチュラルな色か、青みを持たせて陶磁器やプラスチックのような風合いにするというのがベストプラクティスだろう。また、「選択」の強調表示に黄色を使うのは妥当ではない。青または緑を使うのが一般的だ。黄色は「注意」の表示だけに使うべきである。

信号機の灯具の色

青緑色が純緑色に、橙色がレモンイエローになってしまっている
中継信号機は電球色だが緑みの混じった白っぽい色になってしまっている
(実物の光色はsRGBなどの色域を越えて鮮烈。動画や写真ではなく実物を見てほしい。その印象を、sRGBでできる範囲じゅうぶんに表現してほしい)
レールの色
レールは鉄だから赤みのある茶色だが、赤みのほとんどないダークグレーになってしまっている
実際のレールは明るい色をしているが、かなり暗い色になってしまっている
(ポイントのレールは材質が異なる)
E653系の色

グリーンレイク色(エメラルドグリーン)がただの緑色に、紫みのあるブルーオーシャン色がただの青色に、同じく紫みのあるスカーレットブロッサム色がただの赤色になってしまっている
絵具でいえば白を混ぜた色だが、ゲーム画面では白がまったく混ざっていない原色のような色になってしまっている)
国鉄特急色

PS4版ではやや直されているようにも見えるが、わたしたちが期待する色にはなっていない
(旧型車両の色は実車でも褪色の進行度がまちまちで、どの状態の色を再現すると好ましいかはケースバイケース)
赤い紅葉

ゲーム画面に赤い紅葉はなく、黄色い紅葉は緑みが強すぎて美しくない。ゲーム内の日付に従って葉の色がグラデーションで変わっていくが、変わる途中の色が非現実的で非常に汚い
(現実に近年は気候変動であまり美しい紅葉は拝めない年が多いが、ゲームの中では理想的な紅葉のイメージが提示されたい)

カラーユニバーサルデザイン(CUD)とは

作品において非常重要表現である。ゲーム業界でもカラーユニバーサルデザイン(CUD)への取り組みが進められているが、プレーヤーの色覚特性を考慮しようという機運の高まりとは対照的に、ゲームの作り手の色覚について言及されることは非常に少ない。色覚に関する話題は繊細なものとして避けられてきたという社会的背景があるとしても、作品において明らかに(偶然ではなく系統的に)「色がおかしい」場合においてすら、そうした指摘をできなかったことに反省と後悔がある。色覚が違えば考え方まで違う。ゲームの中の何かが「おかしい」と感じられるとき、そこには色覚の違い(に由来する発想の順序や枠組みの違い)があるのではないかと想像してみよう。

※文中の太字は、色覚特性に起因する独特の判断を一般の人が誤解するようすを表わしたもの。このページの筆者が太字の文字通りに作り手を非難しているわけではないことを正確に読み取ってほしい。

例えば、「A列車で行こう9」には神田付近などのレンガ高架橋のように見える構造物があるが、アイテム名は「アーチ橋」で「石を積み重ねた橋桁」「歴史あるローカル線に見られ」と説明されるのみで、レンガへの言及が一切ない不自然な説明になっている。この「アーチ橋」を並べて複線トンネルに見せかけてドクターイエローを配置した公式のスクリーンショットがある。色覚に関する事情を知らずに見ると、あまりにも非常識だという感想にしかならないが、ふざけているわけでも手抜きをしているわけでもなく、色がわかっていないだけなのだ。神田付近などのレンガ高架橋が得も言われぬ魅力を放つのは、それがレンガだからに他ならないのだが、レンガの色が見えない人にとっては「アーチ橋」という形状にしか関心が向かないわけである。なお、レンガは「開国」「横浜」や「近代化」「帝都」「東京」の象徴であり、「ローカル線」の風情を成すものではない。レンガの色が見えないという事情があっても、歴史を正確に学ぶ(文化財の価値を正しく理解する)努力を怠ってよいという免罪符にはならないことを知ってほしい。

鉄道趣味の基本は「近代化の歴史を辿る」「優秀な工業製品を愛でる」ことにある。雑誌や図書を通じて国鉄の形式など体系化された情報に接する機会が多く、特定の車種にこだわるのでなく国鉄全体を俯瞰する見かたが培われる。模型は美術の一分野であるが、鉄道模型で「オリジナル」や「手作り」は邪道とみなされる。また、色覚検査が必須の鉄道業界ではファンも含めて色彩には敏感で、デジタル一眼レフカメラのRAW現像といったものを通じても色彩に関する専門的な知識がかなりの程度、普及している。実車と異なる色味の模型やゲームがあれば、正確な色味調べもしないで適当な色にしてしまう手抜きだ、いい加減なことをするひどい作り手だ、鉄道をばかにしているのではないか、という感想になる。しかし、「A列車で行こう9」で起きているのはそういうことではなかったのだ。これは大まじめに一生懸命に製作してなお、こうなっているのだ。見えにくい色のある人が、日本では男性の20人に1人の割合でいるとされる。おかしな対立に陥ることなく色彩を楽しんでいきたいという決意のもと、あえて指摘するものである。

※繰り返しになるが文中の太字は色覚多様性への理解が不十分な人が誤解するようすを表わしたもので、太字のような感想を抱くのはまったく的外れである。しかし、色の提示に対する反応は自動的に起こるもので、頭では理解していても直感的な印象が先行してしまう。そのたびに色覚多様性についての理解に基づき、自分が抱いてしまった“誤った”印象を自分で“正しく”訂正することになる。このような余計な心理的負荷がかかり続けるので非常に疲れてしまう。圧倒的多数の多数派の色覚特性の人々が「A列車で行こう9」という「色がおかしい」ゲームを相手にしたくもないと思ってしまうのは無理もない。

ゲーム画面での色による混乱や混同の恐れはないが、どうしてこんなことになっているのかと困惑させられる。鉄道模型も楽しむ人は実車の知識もあり目も肥えているがゆえ特定の車種を1つ1つじっくり見ることになり、模型の完成度を吟味するのと同じように「再現の上手い下手」としかとらえないかも知れないが、「A列車で行こう9」で起きている色の問題は複雑で深刻だ。鉄道車両については模型のカタログに準じて塗装のバリエーションを用意しようという考えが導入されているが、作り手が色をわかっているわけではなく、まったくハンドリングできていないに等しい。例えば弥彦色については、どうやら色覚に起因して何かピンと来るものがあったようである。もちろん弥彦色がいけないというわけでなく、何か個人的に弥彦色に強い思い入れがあるのなら収録してもらって構わない。ただ、弥彦色を収録するに至るには、それ以前に収録すべき塗色がいろいろあるのに、それらをすべて無視して唐突に弥彦色を収録した判断はまったく正当化できるものではない。

車両の塗装に使える色は時代が進むにつれ増えてきた。湘南色と横須賀色が登場したあと、白を活かした塗装が阪和線、関西線に登場した。交流電車では「赤電」と呼ばれた2色の塗装から始まり、常磐線では白地に青帯の「つくば色」が登場、帯の色はE531系にも受け継がれている。この白地に有彩色の帯という塗り分けは、国鉄末期の205系・211系というステンレスで無塗装の車両(『銀色の電車』)転換していくための『地ならし』の役割があった。JR発足と平成の時代を迎え、長野オリンピックを契機に「新長野色」が登場した。この「新長野色」は「フォギーグレー」「アルパインブルー」「フレッシュグリーン」という色名を称している。ここまで繊細な色を塗装に使えるようになったのは画期的だった。塗料の製品開発と歩調を合わせて鉄道車両の塗装も進化してきた。このような大きな流れに位置付けられるエポックメイキングな塗色の収録を優先すべきという考えからは、特に新しい塗料というわけでもない適当な色を適当に塗り分けただけの新潟色や弥彦色は注目度がかなり低い。

415系では、常磐線の塗装は上部に帯がなく、九州の塗装は上部に帯がある。まるで「大は小を兼ねる」とでも言わんばかりに、帯がないよりはあるほうが立派だという「帯の有り無し」だけを見て決めたかのようである。また、「赤電」と呼ばれたオリジナルの塗色の415系や711系、「レッドトレイン」と呼ばれた赤色の50系客車の収録には至っていないが、その判断に色覚特性が影響していないとは言い切れないだろう。色覚に関する事情を考えなければ、なんとひねくれた奇をてらった常識に反する「逆張り」の、むやみに反抗的な)ことをするのだという感想にしかならない。本作では「横須賀色」「国鉄特急色」「直流電気機関車」などの「クリーム色」を正しく扱えていないところから、本作の「色がおかしい」という問題には作者らの色覚特性が関係しているのではないかという推察に至った。ユーザーの色覚特性に配慮してデザインしようという話ではなく、作者らの色覚特性を推察しないと作品を正しく評価できないという話である。

このゲームに113系・115系のような車両を登場させる最大の目的は、新長野色で『鉄道王国』長野(と山梨・岐阜)のユーザーを、新潟色で『鉄道のまち』新潟のユーザーを惹きつけることにある。“鉄道好きゲーマー”が多そうな地域をしっかりカバーすることが重要だ。その次に大きな目的は、カラーバリエーションをバランスよく収録してゲーム画面の彩りに偏りが出ないようにすることだ。個々の塗色を脈絡なく取捨選択するのでなく、色相環の上に並べてみて空白域がないように埋めることが必要だ。例えば「新長野色」を色相環の「青紫」に置く。資料には「フォギーグレー」「アルパインブルー」「フレッシュグリーン」と書いてあっても、実際に「新長野色」をパッと見たときに感じるのは「青紫」という色である。涼しげな高山植物やスキー場を連想するのが『正解』。「印象は人それぞれ」ではなく、誰が見ても同じ印象を抱くようにデザインしてみせるのがデザイナーの腕の見せ所なのだ。この「新長野色」は211系にも引き継がれ、115系とは塗り分けが異なるにもかかわらず「だいたい同じ」という印象を与えることに成功しているのには感服させられる。中央政府から「緑化」を指示された地方政府が建物を緑色に塗ったという国もあるというが、鋼製車をわざわざ「フォギーグレー」で塗るということが『銀色の電車』への『橋渡し』の役割を果たしていたのだとわかる。

色相環の上でバランスを見たときに113系・115系だけで足りなければ、「湘南色」の165系の追加を検討することになる。同じ「湘南色」と呼ばれる塗装でも、近郊形電車と急行形電車では塗り分けが異なる。パッと見たときに113系・115系は「深緑」という印象になるが、165系では「オレンジ色」という印象が前面に出るので、色相環の上では「オレンジ色」のところに165系を置くことになる。色相環の「赤」のところには新潟色ではなく415系の「赤電」を置けばよい。形式が異なる車両であっても印象が似通っていれば、まとめて考えてよいのだ。なお、弥彦色は「黄色」である。まとめるとは言っても、色相環の黄色からオレンジのあたりを広島の「中国地域色」1つでまとめてしまうのでなく、より黄色な弥彦色と、よりオレンジ色な165系とに分かれているほうが好ましい。なお、そもそも弥彦色は165系「ムーンライトえちご」の塗装と同じ色で、それはまた山手線・総武線と同じ色だということである。弥彦色を収録するなら165系「ムーンライトえちご」をペアで収録すると喜ばれるだろうといった関連性を考えてほしい。同じ車種の色違いや同じ色の別形式などの収録が中途半端であると、いわば「夫婦茶碗」の片一方しかない、そこにあるべきものがないバリエーションが欠けていると感じられるのである。

車両以外の建物や橋については、「A列車で行こう9」では1つのオブジェクトは1色きりで、そこにはカラーバリエーションという考えがまったく存在していない。「りんごは赤」のように、物の名前と色の名前を1対1で結びつけて暗記するため、1つの物がいろいろな色をしていれば(暗記のしようがなく)そのこと自体に腹を立て(?)たり、じぶんが暗記した「りんごは赤」という知識に反する「アップルグリーン」という色名を名乗る東急世田谷線を許せない(?)といった、色覚に関する事情を知らない人からすれば理不尽極まりないことが、「A列車で行こう9」というゲームには散見されるのである。「アップルグリーン」という色名もデザイナーの作品であるので、色名を勝手に改変することは許されない。さすがに「アルプスグリーン」と「アップルグリーン」という色名では紛らわしいと東急電鉄も考えたのか、「玉電カラー」「みどり」という表記が追加されている。その「みどり」を収録したという意味なら「みどり」と表記しなければならず、勝手に「グリーン」と書くのはだめだ。ただ、「日本語がおかしい」のページにまとめたように、外来語(カタカナ語)を忌避(?)する態度のほうが強く影響しているのだろう。日本のデザイナーが考案したカタカナ語の色名をあくまで英語と捉え「英語として間違っている」と憤慨(?)して『正しく』直してしまうような態度に見える。

実物をモデルにして実物の通りの色を再現すれば済むものについて指摘するのはたやすいし修正するのも容易である。3Dグラフィックのレンダリングの設計として、テクスチャに頼りきりで表面の質感ライティングへの注意がほとんど払われていないといった技術的な問題に対しても適用可能な既存の解決策がいくらでもある。本稿では、ゲームソフトのメーカーにおいて開発者の責任で配色を決定しないといけない場面での色彩の考えかたについて、基礎中の基礎のみを簡単におさらいする。なお、色彩設計は、それだけで1つの会社や職業になるほど高度に専門的な業務であるので、色彩を専門としない会社や作品の作者個人が独力で色彩を設計できる必要はないことを申し添える。(できないことを責めるわけではないことを理解して読んでほしい。)

「A列車で行こう9」という作品の「色」について、が起きていて、どう問題なのかを理解するのは、色覚多様性について通り一遍の研修などを受けただけでは難しい。上司として部下の色覚多様性に『配慮』する(色覚に由来するいかなる問題も起きないように監督する)といった責任を伴うでもない学生や新人には、およそ考えもおよばない領域である。見えない色が特にない(どの色も見える色覚特性である)というだけでは、何も思わない人のほうが多いと思われ、現に「A列車で行こう9」の「色がおかしい」という話あまり見かけない気が置けない間柄の人に色覚多様性の当事者がいれば、率直な話を聞けるだろう。詳しくは、このサイトの「カラーバリエーション」「車両の選び方(カタログの作り方)」とフォーラムの「True Color」を熟読してほしい。

※リンク先の文中の「色覚障害」などの呼称は、その時点で使われていたものです。このページでは「正常」「異常」や「あり」「なし」という表現は使用しません。「きれいな色」「きたない色」「へんな色」といった主観的な断定はしません。

SLブーム世代

2025年6月ごろからのGoogleの「AIによる概要」で「鉄道模型や鉄道シミュレーションゲームを好むユーザーは、車両の色や塗装に強いこだわりを持つ傾向がある」という偏見を助長するような内容が表示される場合がある。一般にそのような偏見が少なからず存在するのは確かだが、それだけでGoogleの「AIによる概要」に出てくるわけではないだろう。鉄道趣味というジャンルに限らず、12~13歳の人が過剰に攻撃的な態度で大人の言うことに反論するのはよくあることで、14歳になると自分のあらゆる不満を何か1つのものにぶつけるという形で発散しようとする人がいるのも普通のことだが、SNSや掲示板などで過剰に「鉄道ファン」を『敵』に仕立てるような情報発信が行なわれがちなのも、そのような年齢の人によくあることなのだと理解しなければならないのだろうか。あるいは、昭和40年代(1965~1974年)に少年時代を過ごしたSLブーム世代の男性とその後の世代では価値観が大きく異なり話が通じないところがある。SLブーム世代は黒い機関車を追いかけてモノクロ写真を撮り、友達と交換していたわけである。鉄道について何も勉強せず、色にも無頓着で、撮った写真の枚数や友達の人数を競い合うようなところがあった。そのようなSLブーム世代の男性からすると、まず鉄道模型というものはよほどの大金持ちでないと手の届かないものという認識があり、ステータスとしての価格だけを気にする極端な態度に陥りやすく、プラスチック製で安価になった鉄道模型を「あんなのはおもちゃだ」と見下しがちである。そのような人から見える「鉄道模型や鉄道シミュレーションゲームを好むユーザー」とは、いい歳をしてプラスチックのおもちゃで遊んでいる、まるで子どものようなこだわりを大人になっても持ち続けている(大人になっていない)かわいそうな人でしかないのだ。シミュレーションゲームは1980年代にパソコンを通じて広まったもので、パソコンというものに縁のないまま暮らしてきた人にとっては馴染みのないものである。当時のパソコン(マイコン)は大学生と技術者と「詩人の谷川俊太郎さん」のような特殊な人しか買わない(買えない)特殊なものだった。この世代や、もう少し後の世代も含めて、ビデオゲームといえばインベーダーゲームやテトリス、ゲームセンターの格闘ゲームを思い浮かべる人のほうが圧倒的に多い。そのような人にとってゲームとは友達と付き合うためのもので、お酒やカラオケと同類なのである。1993年にもなると、Windowsでマルチメディアが扱えるようになり「知育ソフト(エデュティメント)」というジャンルが確立してくる。その筆頭がコンパックのパソコンにプリインストールされた「A列車で行こう4 for Windows」なのだが、その時代にはまだパソコンに触れていなかった人は知らないままになった。そのような人は「1人でこつこつ進めるシミュレーションゲーム」をまったく理解しないどころか、「1人でこつこつ」ということを不健康で不健全なものだとすら思っているところがある。また、学校の勉強以外に勉強をしない、大学に入ったのに勉強をしないような人にとっては、例えば鉄道の塗装にやけに詳しい人がいたとき、どうしてそんなことを知っているんだと不思議でしかたないのだろう。偏見が生まれるのにも、すべて理由があるのだ。ある偏見を持つ人がいたとき、その人がどのようにしてそのような偏見を持つに至ったのかを完全に理解する必要がある。1960年生まれの人は、物心ついたころにSLブームが始まり、14歳のときに終わる。SLブームが始まったときに学生だった人はよいのだが、わけもわからぬままSLブームの渦中に放り込まれた1960年生まれのような人はとても危なっかしい。それでも、2025年に65歳を迎える彼らには感謝を捧げたい。

色名と色相環

「A列車で行こう9」の「バスの色」「グループ色」には色名の表示がない。色名の表示がない以上、その色をどのような色のつもりで使っているのか不明ではあるが、「バスの色」は「4色」しかなく、むしろ色名を使って作成を指示したことが強くうかがえる。最終的には色名の表示が必要だが、色覚特性が異なる人の間で色名を使ったコミュニケーションは成立しないという前提で業務にあたる必要がある。

このように「A列車で行こう9」の「バスの色」と「グループ色」では真逆の問題が起きているが、目的と合致しない色になっているのが問題だというのは同じだ。好きな子にいじわるする反抗期の中学生が親や教師の指示に逆らってわざと逆のことをして親や教師に反抗することで気を引こうとする(かまってもらいたがる)かのように、客をおちょくるべくわざと反対にしたのでない限り、色彩について何も理解していないと断じざるを得ない。

バスの色に「緑」を含めるなら「オレンジ」と「紫」も含める、「黄緑」を含めるなら「青緑」「青紫」「赤紫」と「赤っぽいオレンジ」「オレンジっぽい黄色」も含める。ただし、むやみに色相を細分化すればよいのでなく、目的に照らして過不足のない細かさにする必要があるのは当然だ。中央線と総武線の路線カラーは異なるが、中央線と武蔵野線総武線と南武線は同じ路線カラーだ。すべての路線に別々の色を割り当てるのでなく、識別性が高い5~7色を使い分ける。

※リーグ戦のチーム数が多くなると試合数が増えすぎてしまうので、別のリーグに分ける。リーグ戦のチーム数には自然と上限があり、その数が色分けにもちょうどよいので色でチームを識別できることとなる。チーム数が多い2部リーグでは色分けはしにくいことから、色に頼らずロゴやエンブレムで識別されることとなる。色分けには敵わないが、チーム名を文字で見るよりは認知上の負荷が軽減される。

都道府県と京浜東北・根岸線の駅は47もあるが、その半分の数しかない東京23区でも暗記するのは意外と難しい。暗記するのはつらいが暗記してこそ楽になるという面があるので、暗記するとよいものは数が少ないほど嬉しい。「A列車で行こう9」の中でプレーヤーが自分の好みで選択するよう用意しておく「色の数」は、暗記に無理が出ない範囲ではどのくらいまで増やせるだろうか。トランプのハートやスペードなどの記号は4種類だが色は「黒」と「赤」の2種類だ。数が少ないほど嬉しいとはいえ少なすぎてはつまらない。

人が暗記しやすい(※短期記憶で同時に想起できる)項目数は「7±2」だとする経験則が知られている。「A列車で行こう9」の「バスの色」としては、最少でも色相を5種類(色相環の5等分、その各色に明確な濃淡を2段階で与えた「10色」を使うのが絶対条件だ。とはいえ、それでは色が少なすぎると感じる人が多いだろうから、「7±2」の数の明確な有彩色に2~3段階の濃淡を用意し、2~3段階の無彩色を組み合わせたパレット(カラーテーブル)にするのがベストプラクティスになるだろう。濃淡とはいっても、単純に明度だけを変えるのではない。「赤」に対して「オレンジ」、「緑」に対して「黄緑」を用意するように、色相も彩度も動かした色を持ってくるものである。濃淡というつもりで色を用意していっても、最終的には濃淡ということでなく、各色が対等に並ぶことになってよい。往年のWindowsの「ペイント ブラシ」のパレットのように上下2段で濃淡の色を分けて並べるような配置にする必要はない。あくまで数が少ないほど嬉しいのだから、「7±2」で2~3段階という考えの中で最大となる27色(無彩色を加えると30色)ものパレットにしてしまうのはまったく嬉しくない。色に関して「大は小を兼ねる」は成り立たない。数の問題ではあるが数の問題ではない。どの色にもそれぞれ固有のイメージ(連想)意味(使う意図)がある。ほかの色で代わりにはならないのだ。

※人間の色彩の文化は、植物の色素、顔料や宝石といった自然界に存在するものに由来する。人が色を決めるのでなく、色がもともとあるのだ。RGBの各色を8ビットで扱う「24ビットカラー(TrueColor)」では1677万色の階調表現が可能だが、パレット(カラーテーブル)として用意すべき色はRGB値で考えるものではない。RGB値の加減乗除や、ある色から別の色までの中間を等間隔で採るような処理は、映像の調整やトランジションには用いられるが、パレット(カラーテーブル)を作成するときに使ってはいけない。

最難関の色は「白」である。「A列車で行こう9」では「バスの色」にも「グループ色」にも「白」が存在しない。最初から白い紙が用意されている美術の分野とは異なり、電気信号でカラーの映像を扱う業界では「白」を正しく扱う技能が要求される。正しい「白」を得るには、すべての色が見える必要がある。

Switch版「A列車で行こう はじまる観光計画」の動画で新幹線の「白」を黄色っぽい色(不二家の「ミルキー」くらいの色)にしてしまっているものがあった。(※正確には、作成された車両の色としては黄色っぽい色をしているであろうところに、さらに水色のような色味を含んだ環境光が加算され、かなり緑色を帯びた色になっている。つまりスクリーンショットで黄色っぽい色が見えているわけではない。キャラクターの肌色顔の色との対比で、さらにすさまじい色という見え方になってしまう。Switch版「A列車で行こう はじまる観光計画」の環境光の実装には大いに疑問がある。)「クラスには必ず色覚障害の生徒がいる」を逆にいえば、クラスのほぼ全員が色彩を正確に認識できることになるが、Switch版「A列車で行こう はじまる観光計画」の動画で新幹線の「白」を黄色っぽい色(不二家の「ミルキー」くらいの色)にしてしまった人がいたときに、なぜ周りの大勢の人は何も言わないのかということになる。色覚特性が異なる人の間で色名を使ったコミュニケーションが成立しないとはいえ、コミュニケーションそのものを途絶えさせてしまってはならない。反抗期の中学生が色覚多様性を学ぶのは困難だ。偏見なく学べるのは10歳が限界だろう。中学校の美術で習う「色相環」を小学校中学年に前倒しすべきである。個人の努力に頼る啓発だけで解決する問題ではない。

わたしたちは豊かな色彩を楽しみながら生きている。ゲームの中でも色彩を楽しみたいと思うのは自然なことであるが、これを否定するかのような実装(色彩を無視したり軽視したり極端な偏りのある扱い)がなされているのは不快なことである。A9V2の発売時には「リアル志向のユーザーから多く要望を受けていた」という文言があったが、メーカー側からの情報発信の一環とみられるニコニコ動画で「リアル志向(笑)」という嘲笑的な言及があった。ユーザーは色彩も含めたリアルさを求めているが、メーカーが色彩を理解していないとすれば、ユーザーからの色彩に関する要望のいっさいは「子どもの意味不明なわがまま」「マニア特有の異常な執着」としか受け取られないことになる。自分自身の色覚特性に関わらず色覚多様性について深い理解を目指すべきであるという考えを共有できない相手と、いかにしてコミュニケーションを成立させればよいのか。過去の色覚検査が原因で社会に恨みを持つ者もいるだろうが、色彩を話題にするだけで『敵』扱いされてしまうのでは、たまったものではない。わたしたちは本物の色を本物の通り(と思えるような色で)再現してほしいだけであり、この立場からは「色がおかしい」としか言いようがない。このページのタイトルを「色がおかしい」という糾弾調のものにせざるを得ないことは、どうかお許しいただきたい。


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(このページの初版公開:2020年4月29日、要望24の初出:2019年4月1日、要望16の初出:2020年1月27日、要望12の初出:2020年7月1日)



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