DATT-A9DARXばんじょうモンテ

(最終更新:2024年7月27日、なまらクリームたっぷり!


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年齢別の楽しみ方 - A列車で行こう9・Exp.

小学校低学年から鉄道模型の代わりに
小学校中学年から資料の活用ができる
小学校高学年都市と産業に関心持って
中学校県境や都市圏に実感持って
高等学校鉄道事業の成り立ちを理解

重要無形民俗文化財「鳥出神社の鯨船神事」における「役割名」の表(「およその年齢」)参考に作成。

これは、従来のレーティング(ゲームソフトに対する規制としての対象年齢の設定)とは別の、テーマの理解やプレーの方法に対して必要となる発達段階を踏まえた年齢別の遊び方の提案が欲しいという趣旨で紹介したものである。

段階ごとの割り振り

「小学校中学年から」と表示された教材(副読本)に「ユニバーサルデザインに配慮した乗り物や、バリアフリーに取り組んだ設備などの様々な工夫を、質問に答える形式でわかりやすく紹介」という内容があった。多くの企業が「子ども向け」と銘打って開催する夏休みの講座や体験学習は、9歳前後の児童を主な対象とするものである。「小学校高学年」になると、班ごとに話し合い(ディスカッション)をさせるようになる。(4年生のうちから予備的には取り組ませる。)10歳からは限定的ながら、自分の意見を持ち責任を持てる大人として扱われる。なお、明示的に「こども」「キッズ」などを名乗るイベントや体験施設は、6歳前後(※場合によっては未就学児を含む)を対象とするものである。10歳以上の大きなおともだちが参加してよいものではない。

冒頭の表で挙げた「資料の活用ができる」とは、授業で習ったりニュースで見聞きして知っていることだけでなく、資料を探して、自分が知らなかったことをその場で知るという行動を自発的に取ることができる(ようになろう)という意味である。資料を探す能力が育っていないうちは、あらかじめ資料がストックされた図書室や資料室に行って調べたり、一定のテーマでシリーズ化された図書を順番に読んでいくといった方法を採ることとなる。この目的には集英社みらい文庫の「電車で行こう!」シリーズがある。

8歳から13歳くらいまでの子どもがつくる「A列車で行こう9」のマップは、大人から見れば断片的な情景の強引な寄せ集めとしか見えないだろうが、子ども自身が記憶を整理するための重要なプロセスなのだと理解してほしい。さまざまな情報源や生活上の実体験から知ったことを「A列車で行こう9」の中で『再現』することで、内的な知識として再構成されることが期待できる。ただし、このためには子ども自身が自分ひとりで取り組む必要がある。子どもが何も考えずその通りにしてしまうような具体的すぎるアドバイスは控え、子ども自身が考えて試行錯誤するのを長い目で見守ってほしい。可能であれば、家族の外出で東京の電車に乗る体験をたくさんさせてあげてほしいが、電車に乗ること自体を目的に外出したり、珍しい車両や特別な運転などにばかり目を向けさせるのは避けてほしい。電車はアトラクションではなく、鉄道博物館は遊び場ではない。鉄道の動画やビデオソフトを子どもが中毒的に長時間視聴してしまうのも防止する必要がある。なお、「A列車で行こう9」のゲーム画面にはそこまでの魅力はなく、さまざまな操作を自分で行なう必要もあって適当に疲れたり飽きたりするため、大きな問題は起きないだろう。

  1. ゲーム「A列車で行こう」シリーズの公式サイトや動画などで、鉄道に関する雑学や豆知識を紹介するものは、「小学校中学年から」に相当する。自分の意見は求められない。質問を自分からすることも求められない。(何かの「やり方」を説明するものも、ここに含む。)
  2. 現実の鉄道や社会のしくみとゲームの内容を照らし合わせながら紹介するものは、「小学校高学年」に相当する。コンテンツの受け手は、自分が住んでいるところでの話に読み替えながら読むことが求められる。そこができていない場合は、コンテンツの受容としては「小学校中学年から」の段階に留まる。(単に雑学や豆知識が増えるだけということになる。)

ある時期から高校の修学旅行の行き先として「台湾」が急増した。中学校で「台湾」へ行く学校もあるという。「中学校」という段階では英語の学習が大きな軸となり、各教科でグローバルなトピックを取り上げていくが、だからといっていきなり「台湾」に行くことが生徒の(3年間の課程の全体を通しての)学習にどのような影響を及ぼすのかは批判的に検討されるべきである。おそらくは生徒自身で咀嚼しきることができる限度を超えていると思われる。現地での体験が絶対のものとなり、ある意味では「考える」態度が失われかねない。なんでもむやみに直接体験すればよいというものではない。直接体験できないことを理解するのに必要な想像力を養うことも一方では必要である。

「中学校」の段階(生徒の年齢)での学習には様々な困難があるが、地域の事情を深く理解していくことには関心が向かいにくいというのも、その1つだろう。この年齢(段階)では、より大きなものや、より広いところへ関心が向く。その結果、「小学校高学年」で着実に学習する「市町村」の事情はよく理解するが、「都道府県」の事情についてはそうではないということが起きやすい。ただ、これにはそもそも「都道府県」という存在はやや抽象的だということも関係している。一部の事務は市町村または国と重複し、「都道府県は不要だ」とか「(都道府県より大きい)道州制にせよ」といった主張がなされる。しかし、どのような意見を持つにしても、まずは「都道府県」について正確に理解する必要があるのは当然だ。

  1. 「中学校」に相当するものとして、「A列車で行こう9」の「マップの広さ」「隣町」「広域都市計画」というゲーム名のシナリオマップ(ニューゲーム)を学習の導入として使い、「市町村」と「都道府県」の関係や「都道府県」が担っている役割への理解を深めることは可能だろう。(「広域」は「広い」という意味ではなく「複数の市町村に跨る」という意味。)

高等学校では2022年度から「現代社会」が廃止され「公共」が新設されている。成人年齢および選挙権年齢の引き下げと連動しているが、「公共」の内容(趣旨としては掲げられていながらも現場的には省略された内容を含む)はそもそも高校生という年齢では非常に難しいものである。それでは「高等学校」の段階では何をどのように学べば「公共」新設の趣旨に(本来的に)適うのか。

  1. ゲーム「A列車で行こう」シリーズに関するコンテンツを「高等学校」に相当するものとするためには、例えば国の施設を国が建設する場合であっても都道府県知事による許可などが必要だということや、旧国鉄の退職者に年金を支払うためにJRグループはエキナカなどの副業をしているのだといったことを解説する必要がある。

「鉄道事業の成り立ちを理解」とは、会社要覧を取り寄せて読みましょうとか職場体験をしましょうという話ではないのである。(鉄道業界のサプライチェーンという話でもない。)「相鉄・JR直通線」が相鉄のものでもJRのものでもなく(国のものでもなく)、あえていえば神奈川県と横浜市のものだという話なのである。同線の建設には国の補助金も充当されているが、完成した線路について国が持ち分を持つという意味はない。直接の負担をする「神奈川県と横浜市」『以外』の住民(全国各地の住民つまり国民)の受益分を(国民を代表して)国が支出したかたちである。受益者負担の原則に従い、「相鉄・JR直通線」の受益者である住民が費用を出し合って建設したという意味合いになっている。このことを正確に理解するまでの学習が(「相鉄・JR直通線」といった具体的な題材がある限りは)高校生にとってさほど難しいとは思えないが、まったく学習しなければ、まったく知らないままになるのである。あるいは単に「受益活用型上下分離」という雑学が増えるだけで終わってしまう(受益者負担の原則について普遍的な理解をするに至らず「受益活用型上下分離」という特定の制度名を覚えるだけで終わってしまう)。それでは「小学校中学年から」の段階に留まるわけである。

鉄道模型の代わりに

ビデオゲームと模型には、それぞれの楽しみがある。どちらかがあればもう一方は要らないというものではない。それでも「A列車で行こう9」は大いに『鉄道模型の代わり』という役割を果たしてくれる。

※他にも「荷役」(コンテナの積み降ろし)や「解結」(模型ではマグネットを仕込んだ「Mカプラー」なるものがある)などがある。

「代わり」という表現にはやや語弊があるが、これは価格面だけを見ての認識である。高いものは高く、安いものは安い価格による序列化は絶対である。同様に、「A列車で行こう」シリーズのWindows版と携帯ゲーム機版は、携帯ゲーム機版のほうが入門用もしくは子ども向けと紹介されることが多い。価格面ではその通りなのだが、内容面では必ずしも単純にどちらがどうと言える状態にはなっていない。

  1. 「小学校低学年から」に相当する楽しみ方として挙げた「鉄道模型の代わりに」を堪能できるだけのリアルさを「A列車で行こう9」(PS4「A列車で行こうExp.」)は備えている。これを備えていない携帯ゲーム機版のシリーズ作よりも、カバーできる年齢層が広い(より小さな子どもも遊べる)といえる。きょうだいや親子でいっしょに遊んでもいい。

携帯ゲーム機版の「A列車で行こうDS」「A列車で行こう3D」「A列車で行こう はじまる観光計画」は、単純に「A列車で行こう9」よりも対象年齢が低いわけではない。3DSやSwitch(Lite)というゲーム機が普及している年齢層をターゲットにするもので、その意味では対象年齢は狭い。近年はゲーム機の世代交代のスパンがだいぶ長くなったが、それでも特定のゲーム機の普及は特定の狭い年代の人に限られるという現実がある。「A列車で行こう3D」を遊びたいから3DSというゲーム機を買うということがいまから起きるわけではない。なお、Switch版のゲームソフトの多くは、携帯型と据え置き型のどちらがメインのターゲットなのかを意図的に曖昧にして、両者を通じて広く浸透を図るという販売戦略のように見える。携帯型と据え置き型のどちらのSwitchを持っていても、そのユーザーにとっては自分のために発売されたゲームソフトだと思って買ってもらいたいというわけである。そのような背景から、Switch版「A列車で行こう はじまる観光計画」のほうが「A列車で行こう9」よりもメジャーな作品だと認識する人もいるかもしれないが、それは早計である。メジャーなのは、あくまでSwitchというゲーム機である。Switchで遊べるすべてのゲームがメジャーであるはずなどない。

Switch版「A列車で行こう はじまる観光計画」は、据え置き型のSwitchで衆人環視のもとプレーするには気恥ずかしい(?)ような感じにキャラクターがプレーヤーに話しかけてくるつくりになっている。ほかのジャンルのゲームでいえば14歳から18歳くらいまでをターゲットにする作品になろうかというところだ。2人や4人で遊べるパーティーモードのようなものがあるでもない。オンラインでもない。携帯型のSwitchを布団の中で隠れてこっそり遊べという作品になっている。「鉄道模型の代わりに」と言えるほどの「見ているだけで楽しい」ゲームではなく、かなり能動的に策をめぐらせる必要がある。そのような面からも、対象年齢には下限がある。小さな子どもが遊べる(遊んで楽しい)ものにはなっていないと言わざるを得ない。ゲームシステムだけを見れば(「観光」という1つのテーマに絞られているのでなく複雑な現実を現実の通りに描こうとする『全部入り』の)「A列車で行こう9」のほうが複雑で難解なのは当然だが、「A列車で行こう9」だからといって難しいことをしなければならないというわけではない。「鉄道模型の代わりに」という楽しみ方は、Switch版「A列車で行こう はじまる観光計画」では得られないが「A列車で行こう9」では得られるものである。

資料の活用ができる

鉄道模型の話に戻ると、7歳ごろに入門セットとカタログを与えられるというのが標準的な入口である。中学生になってから車両セットだけを買ってレンタルレイアウトに入り浸るというのは非常に不健全である。また、6歳では早すぎるし8歳では遅いということがある。7歳という年齢は単なる通過点ではなく、無邪気に「ごっこ遊び」ができる期間の終わりごろ、かつ、好奇心が非常に高まるとともに、その好奇心を自力で満たせるだけの思考力や行動力が備わる年齢である。子どもの交通事故では7歳が突出して多いという統計があるが、7歳の子どもにこそ室内や机上で好奇心を満たすことができる趣味を体験させたいとは思われないだろうか。鉄道模型の入門セットという販売形態の発祥について詳しくは承知していないが、おそらくはドイツとアメリカで美術教育の見地から開発された一種の教材という性格を持つのは誰しも納得するところだろう。積み木の汽車を『卒業』すると、鉄道模型の入門セット待っているわけである。一方、鉄道模型のカタログには美術書のような趣きがある。商品を注文するために見るのでなく、鉄道模型のカタログそのものが鑑賞の対象になる。このため7歳の子どもには入門セットだけでなくカタログも与えられることが重要である。

7歳ごろに鉄道模型の実物を触る時間とカタログを眺める時間を交互に楽しむという体験が、「小学校中学年から」の「資料の活用ができる」のよい予行演習となってくれるのである。「A列車で行こう9」では、ゲーム画面に向き合う時間と、マニュアルや公式ガイドブックを読む時間の両方とも大事だというところにつながる。このような基礎ができていない大人が急に「A列車で行こう9」を始めようとしても、何をしていいかわからないだろう。もちろん、題材が鉄道でなく自動車でも船でも戦車でも戦闘機でもいい。植物でもいいし魚でもいい。題材は問わないが同様の体験を積み重ねてきてこそ、大人になってからも末永く趣味として楽しんでいくことができるのである。釣りを楽しみ熱帯魚も飼うような人なら、これまでに鉄道を趣味にしたことがなくても「A列車で行こう9」を楽しむ方法が自然とわかることだろう。「鉄道に関する知識がたくさんないと遊べないゲームだ」というのは、「A列車で行こう9」の楽しみ方がわからない大人が言い放つ非常に見苦しい言い訳だ。知識は暗記するものではなく、必要の都度「資料の活用」によって、その場で得て使うものである。「資料の活用」は必ず「小学校中学年」で一定の定着を見るべきである。

「資料の活用」は能動的そして日常的に行なうべきものである。「資料の活用」の技能を着実に伸ばすべき年齢で鉄道の動画やビデオソフトが与えられてしまうと、能動的に資料を読み解く体験が不足する。また鉄道博物館や施設公開のイベントなどに体験が偏重すると、特別な場所や時間だけに楽しむ非日常のものという認識になってしまい、日常的に関心を持ち続けることが難しくなる。ニュースを見ながら辞書や事典、地図帳を見ましょうという家庭学習と同様にとらえてもらいたい。

都市と産業に関心持って

「小学校高学年」では社会科見学や遠足を通じて、現代の都市と産業、その背景にある歴史、自然(地形や天然資源)への関心を深めてゆく。その準備として、それ以前の学年までに乗り物の乗り方や見学のマナーなどを習得させる。鉄道博物館は専門性が高い博物館であるから、鉄道博物館を訪れるより前に、そもそも博物館とは何かを理解し、見学や学習のしかたを体得しておくのが望ましい。筆者が子どものときに鉄道博物館はなかったので、行き先は科学技術館だったが、「小学校高学年」の児童には難しい内容がつまらなそうに展示してある薄暗い施設だなぁとは「小学校高学年」の児童ながら思ったものである。現在の「小学校高学年」の児童が鉄道博物館を見学して得る感想も、これに近いだろうと想像する。1つ1つの説明はわかるが、館を出た後によくわからなくなる。帰ってから何か書けと言われてもちっとも書けない。もちろん見学しながらノートを取れということではあるが、それは「小学校高学年」の児童には難しい。今はデジタルカメラを持たされ、行く前も帰ってからも博物館のホームページで展示内容の確認ができる。展示を見るだけではわかりにくい「展示のねらい」の説明も増えた。今のほうが博物館学習は意味のあるものになっていると信じたい。

県境や都市圏に実感持って

子どもが近隣の都市や東名阪の三大都市圏に巣立っていくという前提の教育が多くの地域で行なわれている。私立学校の選択肢も多い。公立中学校で給食が実施されていない地域は多く、このような地域で都市化(核家族化や共働き世帯の増加)が進むと、弁当の用意がたいへんという理由で食堂を完備した私立校への進学が増える。「中学校」では生徒も保護者も教員も余裕を失う。弁当はその象徴の1つだ。「中学校」の段階で着実に学ぶべき内容にどれだけきちんと時間を割くことができるかは学校の事情による。生徒が「中学生」という年齢であることによっても、いろいろなことが難しくなる。「高等学校」に進めば「中学校」でのことは忘れてしまうものでもある。入試のために覚えたことのほとんどは入試が終われば忘れても構わないが、大人になってもずっと必要なことや、いろいろなことを考えたり調べたりするための基礎となることは、忘れないようにしてほしい。

冒頭の表では「県境」と「都市圏」を挙げた。「都市圏」は、東名阪の三大都市圏に限らない。国土交通省が定義する人口10万人以上で昼夜間人口比率が1以上の都市を核都市とする都市圏と、総務省が定義する統計上の地域区分いわゆる「1.5%都市圏」がある。同じ言葉でも、目的や立場が異なれば定義が異なるということを理解できるようになるのが「中学校」の段階である。都道府県ごとに区切られた(「県境」が強調され「県の形」を覚えさせるような)いわゆる日本地図をぼんやり眺める段階からは『卒業』する。「県境」というものを、それが「県境」だから(大昔の人が争って勝ち取ったものだから)と見るばかりでなく、「ここは川だから」「ここが山頂だから」など、地形に即して理解していく段階である。『日本史のロマン』としてではなく理科の地学的分野として「県境」を見るということになる。「実感を持つ」とは、成り立ちを理解し、ものごとを名前だけでとらえるのでなく、そのものに実体があることを確認していくことである。

病院や清掃工場などを近隣の市町村と共同で持つ「広域」の事業組合は合理的である。公共施設の有無(自分が住む市町村にあるのか隣町にしかないのか)を「ステータスシンボル」や「勝ち負け」のようにとらえてはいけない。市町村の成り立ち(区域や面積と人口密度)と施設配置の効率(道路の整備状況などを含む立地)は独立の問題である。自分が住む地域を「田舎」という言葉で認識して卑屈になることも避けてほしい。また、都道府県というものを就職先としてしか見ない(競争の倍率などで序列化して見てしまう)態度には陥らないようにしてほしい。なお、このような諸課題は理念や政策として車座で熱く語る以前に、そもそも数理的に解くべき問題である。「高等学校」の「理数探究」や「地理探究」で取り組んでいけるテーマなのだということを「中学校」のうちから知っておくことは重要である。実社会の実際の問題を自分たちで解決しようとはしなくてよい。専門家に任せるべきことは専門家に任せるという態度を養ってほしい。

大人にも必要な「遊びの段階」

愛着形成期このゲームが好きだ/このゲームは安心だ(このゲームで遊んでよいのだ)
感覚遊び期塗り絵(MOD)遊び、(巨大)ランドマーク、過密ダイヤ、『最速攻略』等
模倣遊び期指導者や先輩の真似(ニコニコ動画)、ニュースの真似、『再現マップ』等
ごっこ遊び期運転士ごっこ車掌ごっこ指令ごっこ社長ごっこ(ロールプレイング)
ルール遊び期評価基準を決めてスコアを競う遊び方ができる(ルールの外部化・明文化)
自律期条件を変えながら何度も繰り返すシミュレーションに取り組むことができる

※「ニコニコ動画」は会員制のサービスであり、「ニコニコ動画らしさ」は「ニコニコ動画」の内部のみで通用および発揮されるべきもの。「ニコニコ動画」の名称や雰囲気を「ニコニコ動画」の外部で使ってはいけない
「A列車で行こう9」での「MOD」は使用許諾契約に反する鉄道車両の「MOD」をメーカーが黙認するのは鉄道会社との信義則に反する。「MOD」は「modification」の略で「改変」という意味。略して大文字で書くとストリートの落書きのようなニュアンスを帯び、「改変」しないと遊べやしない(出来の悪い)ゲームだと強くののしる印象となる。「MOD」という表現や活動が持つ攻撃性を自覚してほしい。

「遊びの段階」は、子どもの発達段階と直結して(実年齢に対応して)進んでいくほかに、遊んだことのない遊びに新しく取り組むときにも、改めて最初の段階から順を追っていくこととなる。自分は大人だから、あるいはほかの遊び(ゲーム)では熟達しているからといって、「A列車で行こう9」に取り組むときに「遊びの段階」を踏まない人がいないだろうか。

とはいえ、これはさほど深刻なことではないように思う。「遊びの段階」を踏まえることが大人にも必要だということを知ればよいだけの話だ。大人というものはどう逆立ちしても大人であるのは当然だから、どんなに形式的・表面的であっても「遊びの段階」を踏まえさえすればうまくやっていけるだろう。大人にとっての(いまさらの)「愛着形成期」(という段階を踏まえた『証』)とは、例えば「好きな車両」や「好きな路線」をプロフィールに書き、これを一貫して言い続ける(時流に乗ってころころ変えたりしない)といったことでじゅうぶんである。「A列車で行こう9」自体について言うなら「一目で気に入った」「隅々まで遊び尽くしたいと思った」といったことを言えばよい。思えば幼稚園ではひたすら「好きな食べ物」や「好きな色」を言わされ続けたものである。サンケイリビングの取材では「好きな野菜」を聞かれるというので、身に覚えのある方は考えておくとよい。

補足

初出:2019年6月23日、このページの初出:2024年5月15日)


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