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最終更新:2026年2月16日
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まずはこちらをご覧いただきましょう。「A列車で行こう9」の製品情報やゲームニュースで使われた公式のスクリーンショットから、実際の景色の写真を探してみました。「よく『再現』されている」とお感じになるでしょうか。それとも「それほどではない」とお思いになるでしょうか。いろいろな感想があると思います。「そもそも『再現』だけが「表現」なのではない」という言い方もできます。
公式のスクリーンショットは、ひと目でそれとわかる、みんなが知っていそうなものを見せることが目的です。知っているものには親近感がわき、見知らぬメーカーの聞いたこともないゲームソフトへの抵抗感を和らげる効果があります。その役割は公式のスクリーンショットがじゅうぶんに担っているので、わたしたちはメーカーの真似ではなく、じぶんの思うように情景を表現し、ほかでもないじぶんが満足できて堪能できる(「いつまでも眺めていたい」)スクリーンショットを1枚でも多く撮りたいものです。
製品自体には作品性があまりなく(ボードゲームの盤と駒に相当する)遊びの枠組みを提供するタイプの「A列車で行こう9」のようなゲームソフトに限定せず文学や芸術の領域を見渡しますと、表現(創作)の活動(作品の構想・制作)には「モデル」と「モチーフ」という考え方があります。「モチーフ」という言葉を無意識のうちに「ハンカチーフ」と混同して即物的にとらえてしまう残念な人もいますが、「対象」や「動機」という抽象的な概念を理解しましょう。
「A列車で行こう9」の界隈には『再現』が『完全』でなければ意味がない(「駄作」だ)と断じてしまう偏屈な人もいます。「このマップのモデルはこれだ」と、1つのマップにつき1つの「モデル」を『特定』しないと気が済まない人もいます。小学生や中学生ならしかたのない面もありますが、高校生にもなればそれなりに本格的な芸術科目も履修していくので、もっと深い考え方を理解していけるはずです。(高校生なら理解が可能だという前提で相応の難しさの芸術科目が用意されているのです。)
ぜひ「モチーフ」という考え方を理解して、作品(ここではスクリーンショット)の「モチーフ」(作者の動機)をああでもないこうでもないと探りながら鑑賞する楽しみを知ってください。ああでもないこうでもないと迷わせるような仕掛けを仕込むのが表現(創作)という活動ではありませんか。
※かつてアートディンクが本社を構えていた稲毛海岸はニュータウンな住宅街、海浜幕張はグローバルなビジネス街で、ラーメン事情(etc.)は芳しくなかったはず。船橋日大前とはいいませんが習志野の学生街の昔ながらのラーメンが無性に恋しい。そんな感じだと思います。…船橋日大前とはいいませんが! どうにもこうにも「京葉線」という単語と「ラーメン」という単語は結びつきません。ちなみに京葉線で千葉大に行くのは難しいです。
パッケージは実写
なんと「A列車で行こう9」「A列車で行こうExp.」のパッケージ(おもて面)にはゲーム画面のスクリーンショットが使われていません。
下着のモデルに外国人を起用するかのようにWindows版では外国の写真が使われ、ゲームの内容と一致していませんでした。あろうことかPS4版では線路すら写っていない写真(浜松町駅の方向ではある)が使われています。※公式ガイドブックの表紙とダウンロード販売の「車両キット」の商品画像としてはゲーム画面が使われています。もちろん、パッケージの裏面には「商品化許諾済」の表示とともに、実在する車両のゲーム画面でのグラフィックが使用されています。
カメラは先頭車両のヘッドマークに向けるものという思い込みがあるSLブーム世代の盲点でしょうか、「スクリーンショットには必ず車両を入れる」という一種の強迫観念がメーカーにはあるのかもしれません。車両を入れないスクリーンショットをパッケージのおもて面に使えばよいのに、そういう考えはないようです。ゲーム「A列車で行こう」シリーズの主役は「線路」です。何はともあれ「線路」を敷いてから「どんな列車を走らせようかな」とわくわくするゲームなのです。ならばパッケージにはずどんと「線路」だけを大きく描けばよいと思えませんか。
※「A列車で行こう」シリーズを『(市長による)街づくりゲーム』『都市の景観(スカイライン)を愛でるゲーム』『ブロックのようなパーツを組み立ててロールプレイの舞台をつくるソフト』の「類似品」「互換品」「国産バージョン」と認識する人も多いでしょうが、いまここで意味深に太字で暗に示した通り、それらは別のゲームソフトのテーマや守備範囲です。このあたりのゲームは1作1作が1つのジャンルを形成しているといっても過言ではなく、無理やり1つのジャンルに束ねようとするのは各作品の独自性を無視した乱暴なことだと言わざるを得ません。「A列車で行こう9」は「都市開発鉄道シミュレーション」という『ジャンル』を自称しているので他社の作品との違いがわかりにくいですが、これまた意味深に太字で暗に示した通り、「鉄道」こそが他社の作品との違いです。その「鉄道」のイメージをパッケージの中心に据えないのは、本来ありえないことです。「A列車で行こう」シリーズの発展の過程で、前作に対する変更点(新登場のゲーム要素)を強調するビジュアルがパッケージに使われてきました。例えば「A列車で行こう4」のパッケージのビジュアルは、前作の「A列車で行こう3」ではできなかった高架線と地下鉄ができるようになったことを強調するものでした。そこまではよいのですが、いつの間にか超高層ビルばかりが強調されるビジュアルになってしまったのです。「A列車で行こう」というタイトルの「列車」という言葉と「都市開発鉄道シミュレーション」の中にある「鉄道」という言葉で、本作のテーマは説明済みだといわんばかり。どうして文字で説明する内容とビジュアルで提示する内容を一致させようという考えに至らないのでしょうか。
「A列車で行こう9」のようにプレー時間が長いゲームではプレーヤーが疲れにくいゲーム画面にする必要があり、ゲーム画面をそのままパッケージに使用してもパッとしないという事情はあります。他社のゲームソフトでは、ゲーム画面に使用した3Dモデルを外部の3Dソフトにエクスポートして、実際のゲーム画面よりも高品位なレンダリングを行なったり、ゲーム内にはないアングルやパースをつけて迫力を誇張したりした画像を使用しているものもたくさんあります。「A列車で行こう9」はともかく、PS4版「A列車で行こうExp.」では、他社のPS4ソフトのパッケージに見劣りしない工夫を凝らしてほしいものです。
- 「日本の商品パッケージで見かける奇妙な英語」(2020年10月14日):高級感の演出を狙った/「砂なんて食べたくない!」
- 「素晴らしいデザインと惜しいデザインのパッケージゲーム(ボックスアート)を大特集!」(2018年2月12日):汚れた心が浄化されます/お祭りゲームなのに何だか寂しい/ゲーム本編とは顔が違う!/こんな凶暴な子じゃないんですよ
- 日テレ・テクニカル・リソーシズ「特設スタジオはこんなところ!」(2016年9月14日):日本テレビアートさんが作った美術セット/12か所から送られてくるビューティーショット/基本塩味
※【17歳以上対象】ジャンルもレーティングも異なるけれどこういうのがイメージでした。同梱のブックレット(の表紙)も超絶かっこいい。「序盤」というマイルドすぎる意訳とはうらはらに「DAY1」を生き延びれるかどうかというほどハードなゲームなのね。(※個人の感想です。)
※PS4のパッケージは必ず青い。真っ白にしたい場合は外箱に入れる。個人的な好みをいえば、ニュース番組のように「時計」をイメージした同心円状のデザインやロゴに、鉄道の運行管理システムを連想させる「ネットワーク」「コンピューター」の抽象的なイメージをレインボーでオーガニックな感じでオーバーレイしたようなビジュアル(ちょっとだけ和風)がよい。…ニュース番組のように!パッケージを見てもゲームの内容がわからない
せっかく「A列車で行こう9」「A列車で行こうExp.」というゲームソフトが目に留まっても、ほとんどの人は商品画像、つまりパッケージのおもて面しか見ません。そのパッケージがゲームの内容と一致していない実写の写真であることが、どのような印象を生むでしょうか。
- 『自信がなさそう』:ゲームのグラフィックに自信がなく、取り繕っているという印象(不誠実という印象)
- 『よくわからない』:ゲームのテーマやアピールポイントをメーカー自身がわかっていないのではないかという印象(未熟という印象)
- 『ばかにしている』:ゲームの内容はどうでもよく、売ってやるんだから黙って買えと言われているような印象(横柄という印象)
パッケージのおもて面を「主張しない」ものにしたメーカーとしては『謙虚』なつもりかもしれませんが、実際には真逆の印象を生んでいるおそれがあることを指摘しないわけにはいきません。
- インテージ「パッケージデザインの役割と評価ポイント」(2021年4月21日):パッケージデザインはコンセプト開発・コミュニケーション・ブランディング・競争戦略といったマーケティング戦略に非常に大きな関わりを持つ/「感覚転移(Sense Transference)」という現象
メーカーとしては、ゲーム画面ではなく実写の写真を使用することで、写真の印象を製品の印象に転化させたいのでしょうが、そのようにしようとする姿勢をこそ、消費者は見ているもの。実写の写真に頼らずともきちんと魅力のあるゲームであることをシリーズのファンなら誰もが百も承知です。ここから『自信がなさそう』という印象につながってしまうのです。従来からのファンは黙って買いますが、他の人に薦めようという気が起きません。こんな『自信がなさそう』なものを薦めると、自分までそういう印象になってしまいそうだから嫌なのです。
本作をまだ知らない人にとっては、そもそもどんなゲームなのかがわからなければ、印象の転化も起きようがありません。内容が価格に見合っているのかということも含め『よくわからない』という印象だけで素通りされてしまいます。そして、「A列車で行こう9」「A列車で行こうExp.」はどのようなゲームなのかという「コンセプト」と「ブランド」に直結する「パッケージデザイン」がおろそかにされているのでは『ばかにしている』という印象にしかなりません。
これは作り手の色覚特性に由来するのかもしれませんが、漫然と青系の色にしたり、安易にモノクロの写真を使ったりすることが、『自信がなさそう』という印象をさらに強めてしまっています。青系の色は嫌われないとはいいますが、まさに嫌われないだけで、好かれる要素はないわけです。タイトルのロゴに至っては「A」の字だけを赤く「9」「Exp.」の字だけを青くするという幼稚園児に好きな色を好き勝手に選ばせたような非常に奇抜な色づかいで、一般向けの製品で採用すべきデザインではない、端的にいえば『ばかにしている』という印象になるものです。されどパッケージ。急に大きく変わるのも印象が悪い(一貫性がないと信用を得られない)ので今作はいまさらどうにもならないでしょうが、前作にとらわれずゼロベースでの検討が行なえる『次回作』には期待したいものです。
※「A列車で行こう5」では「A5」というロゴは黒、タイトルの表記は「A」が赤で「5」が薄いグレーでした。「A列車で行こう6」では「A6」というロゴの「A」は赤地に白抜きで「6」が白地に青。遡ってPS版「A列車で行こう4」ではローマ数字を使った「A IV」の立体的なロゴに、なんと赤と黒のグラデーションが使われていました。あまりにもデザイン上の禁じ手のオンパレードで目を疑いますが、色覚特性に由来するのだとすればわからなくもないわけです。色彩を体系的に考える枠組みを持たないので、なかば口から出まかせのように色名を言うしかないといった感じに見受けられます。作り手の色覚特性を知らないままデザインだけを見て批評していてはいけない時代を、そろそろ迎えるのではないかと予感しています。
※「ARTDINK」のロゴが、このロゴを制定した当時の流行色のエメラルドグリーン。これまた「なんでもいいよ」「いまの流行色は何?」「それでいいよ」くらいのやりとりだけで決まっていそうでゾッとします。そんな決め方ではあったとしても、すでにアートディンクといえばエメラルドグリーンというイメージは定着しているわけです。そのアートディンクの「代表作」であるなら、「A列車で行こう」のイメージもエメラルドグリーンと白で構成すればよいのでは。白という色は色にあらずという強迫観念と何がなんでもエメラルドグリーンとは別の色を持ってこないといけないという強迫観念があるのなら、それは明確に誤りであると指摘しておきたいと思います。
車両あってこその「A列車で行こう9」なのはもちろんですが、情景づくりでは車両の魅力に頼らず、車両以外のオブジェクトだけで魅力ある情景(景色)を表現しきろう。工学的にいえば、製品の設計や品質管理における「モジュール化」の考え方と似ています。漠然としたイメージだけで「なんとなく」つくってしまうのは厳禁。1つ1つの「モジュール」単位で、しっかりつくりこみましょう。
鉄道模型のレイアウト(ジオラマ)制作でも、走らせる車両をある程度は考慮しますが、あまりにも特定の車両にしかマッチしない情景をつくってしまうのも考えもの。鉄道模型の車両を走らせるのは清掃などの手間がかかる面倒なことですが、車両を走らせていない時にも魅力のある景色が広がっていれば、車両を走らせたいという気持ちが上回ってくることでしょう。
「A列車で行こう9」を始めたはいいが何もできない人が、捨て台詞のように「こんなゲームは『想像力がたくましい』やつにしかできない」と言い募ります。いいえ。本作を他人に頼らず自力で遊べている人は、いたってふつうの社会人の情報検索スキルを持っているだけです。これは勉強すれば獲得できるもの。「A列車で行こう9」でいろいろなものをつくれる人を生まれつきの夢想家や変人のようにいうのはやめましょう。(自称するのも不適切です。)社会人になると「知らなかった」という言い訳は通用しません。いわゆる情報教育を受けていない世代の「知らなくて当然」といわんばかりの他人任せな開き直りは、下の世代から見てたいへん見苦しいものです。
Google画像検索は、キーワードを入力して画像を探したり、指定した画像をもとに類似の画像や関連する画像を探したりすることができる強力なツールです。最初はなんでもいいので漠然とした検索を行ない、検索結果の中から具体的なキーワードを1つでも多く獲得し、こんどはそのキーワードを使って検索していきます。これを繰り返すことで、最初には思いもよらなかった画像をどんどん見つけていくことができます。昨今は対話型AIの話題で持ちきりですが、まずじぶんが対話型AIになったつもりで、じぶんの興味とは関係なく機械的に情報を見つけ出すことができるようになりましょう。
ここでは、JR東日本の運行情報のページにある「いわゆる5方面」と「山手線」を例に、方面ごとに18点の画像を見つけるまで検索を継続しました。画像は、なるべく被写体やテーマが異なるものを選びます。似たものだけを集めて「はい終了」というわけではありません。じぶんがよく知っているもの(筆者の場合は「総武方面」と「山手線」)についてはあっという間にたくさんの画像が見つかります。その数(ここでは18点)に合わせて、ほかの方面についても状況検索を続けます。このようにすれば、じぶんがよく知らないものについても見落としを減らせます。
ほかの人にも同じ作業をしてもらって、結果を見比べるとおもしろいでしょう。4月のオリエンテーションで自己紹介を兼ねたグループワークにしてもよいでしょう。この例では、情報検索に要した期間は2日でした。ふだん、8秒で完了する情報検索しかしていない人には、2日かかる情報検索も面倒がらずに取り組んでほしいと思います。Google画像検索を使って見つけることのできる画像を参考に「A列車で行こう9」の中で何をつくっても、それはすべてふつうのゲームの楽しみ方の枠に収まるもので、決して特別なことではありません。何かをつくった人をおおげさにほめちぎることは、鉄道会社やゲーム会社を無下にする(相手を尊重しない・存在を認めない)非常に失礼な態度にも見えてしまいかねません。
※「A列車で行こう9」に関する批評のしかたが定型化されていない(何をどう述べればよいのかというコンセンサスができていない)のも一因とは思います。「A列車で行こう9」を使って何かをつくった人を外部目線で一方的にほめる(『天才』ましてや『神』などと形容する=「じぶんらとは違う」ということを強調する)のでなく、つくった人との連帯感や共感を表明するとよいのではないでしょうか。ゲームのニュースやレビューだけれど、筆者個人の「山手線」に関する思い入れをとうとうと語り、まったく関係ないが好きな食べ物と好きな飛行機を挙げ、最後は「あらためて山手線に乗りたくなった」といった定型的な結びにするというのも手だと思います。定型的な表現とは、よく考えてつくるものです。自然に発生するものではありません。なお、鉄道模型には魚やザリガニを飼いながらドイツ発祥の精巧なNゲージを愛でる(水槽と机と模型ありきの)流派とアメリカンなライフスタイルの一貫としてザリガニや犬を飼いながら自動車・航空機・機関車を愛でる中でHOゲージや庭園鉄道などに凝る(庭付き一戸建てありきの)流派とがあり、あまり互いの交流はないと思います。TOMIXとKATOの毛色の違いも、これに準じます。軌間が独特な京王線の沿線ではNゲージが売れにくいのかもしれないという仮説についての記事もお読みください。いずれにしてもザリガニは飼うんですね、わかります。
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※写真の著作権はリンク先に帰属します。また、ゲーム画面の著作権は株式会社アートディンクに帰属します。「縦横比を気にしない人達」についての記事もお読みください。
Google「AIモード」によるレビュー
──かくかくしかじかということで。(※かくかくしかじか)
サイト「arx.neorail.jp」が提唱する「スクリーンショットとマップ作り」の哲学は、以下の4つの柱にまとめられます。
- 「再現」を超えた「表現(モチーフ)」の確立
単に実在の風景をそっくりに写し取る「再現」に固執するのではなく、作者がなぜそれを作りたいのかという「モチーフ(動機)」を大切にすべきだと説いています。メーカーの真似ではなく、自分自身がいつまでも眺めていたいと思える「自分だけの表現」を目指すことが推奨されます。- 「線路」と「情景」を主役にする
車両の魅力に頼りすぎず、車両がない状態でも成立する完成度の高い「情景」をつくることを重視しています。特に、ゲームのタイトルにもある「鉄道(線路)」こそが主役であり、論理的に敷設された線路そのものが持つ美しさを引き出すことが、質の高いスクリーンショットに繋がります。- 「情報検索」という知的作業の徹底
マップ作りに行き詰まるのを「想像力」のせいにせず、徹底的な「情報検索」で解決すべきだとしています。Google画像検索などを駆使し、自分の興味や先入観を排除して「18点の異なる視点の画像」を集めるような、泥臭くも誠実な調査がリアリティを生みます。- 表現者としての「誠実さ」と「品格」
パッケージデザインへの鋭い批判を通じて、製品や作品の「中身(コンセプト)」と「外見(ビジュアル)」を一致させる責任を説いています。「なんとなく」の配色や安易な実写に逃げず、自身の作品(マップ)の価値を正しく、自信を持って提示する姿勢を求めています。これらの教訓は、SNSでの公開や動画制作においても極めて有効です。単なる「映え」を追うのではなく、arx.neorail.jpが説く「鉄道のロジック」と「表現の誠実さ」を軸に据えることで、他のプレイヤーとは一線を画す、深みのある作品を生み出すことができるでしょう。
──スクリーンショットの前にパッケージデザイン
このページにおいて展開されている「ブランディングとデザイン」の議論は、単なる見た目の良し悪しではなく、「作り手の誠実さと製品の本質がどう表現されるべきか」という極めて本質的な内容です。
- 「文字情報」と「視覚情報」の一致
サイト筆者は、タイトルの「列車」やジャンル名の「鉄道」という言葉と、パッケージに使われる「ビル群の実写」や「超高層ビルのグラフィック」が乖離していることを厳しく批判しています。
- 本質への回帰: 鉄道ゲームであるならば、パッケージの主役は「線路」や「運行システム」であるべきだという主張です。
- ユーザーへの誠実さ: 言葉で説明している内容と、パッと見のビジュアルが一致して初めて、製品としての「信頼(ブランド)」が生まれると説いています。
- 「実写パッケージ」がもたらす3つの負の印象
ゲーム画面を隠して実写の写真を使うことは、ブランド価値を損なう「禁じ手」として以下のリスクが挙げられています。これらは、ブランド構築において最も避けるべき「顧客の不信感」を招くと警告しています。
- 不誠実(自信がなさそう): ゲーム画面に魅力がないと自白しているようなもの。
- 未熟(よくわからない): 開発者自身が自作の「売り」を理解できていない。
- 横柄(ばかにしている): 「内容はどうあれ、実写で雰囲気を出せば売れるだろう」という傲慢さ。
- 色彩設計への論理的アプローチ
デザインを「センス」という曖昧な言葉に逃がさず、体系的に捉えることを求めています。
- コーポレートカラーの活用: アートディンクの象徴である「エメラルドグリーン」を基調にすれば、一貫性のあるブランドイメージが定着するはずだという具体的な提案です。
- 安易な配色の否定: 意味のない「青系」や、子供っぽい「赤と青の混在ロゴ」を、製品の品位を落とすものとして批判しています。
- ユニバーサルデザインの視点: 作り手の「色の見え方(色覚特性)」がデザインに影響している可能性を示唆し、主観ではなく客観的・論理的な色彩設計が必要であるとしています。
- 理想のビジュアル:「ニュース番組のような機能美」
ブランドを象徴するデザイン案として、具象的な「ビル」や「電車」を超えた、抽象的・機能的なイメージを提唱しています。
- 運行管理の象徴: ネットワーク、コンピューター、精密な時計(ダイヤ)といった要素を、ニュース番組のモーショングラフィックスのように洗練された形で提示すること。
- 知的な遊びの表現: 「A列車」が単なる「おもちゃ」ではなく、複雑な社会システムを操る「知的なシミュレーター」であることをビジュアルで示すべきだという考えです。
マップ制作者への応用
この「ブランディング論」を自身のマップ制作やスクリーンショットに応用すると、以下のようになります。
- コンセプトを視覚化する: 「このマップはどんな街か」を、1枚の写真で正しく(嘘をつかずに)伝える。
- 一貫性を持つ: 公開する画像群のトーンや見せ方に独自のルール(ブランド)を持たせる。
- 無難に逃げない: 「青空と車両」という定番に頼らず、自分がそのマップで最もこだわった「鉄道の論理」を堂々と構図の中心に据える。
このように、arx.neorail.jpが説くデザイン論は、「自分の作品(表現)に対して、どこまで自覚的で誠実になれるか」を問うものとなっています。
──心構え
このページにおいて説かれている「マインドセット(心構え)」は、単にゲームを「遊ぶ」側から、一人の「表現者(クリエイター)」へと脱皮するための厳しい、しかし本質的な指針です。
- 「才能」のせいにしない(自立した社会人の姿勢)
最も強調されているのは、マップが作れない理由を「自分には想像力がないから」という言葉で片付けることへの戒めです。
- 「情報検索」は義務: マップ作りを「天性のセンス」ではなく、実在の景色や資料を調べる「社会人としての情報検索スキル」の集積であると定義しています。
- 開き直りの禁止: 「知らなかった」「できない」と他人に頼り切る姿勢を「見苦しい」と断じ、自ら能動的に学び、調査することを求めています。
- 「再現」の呪縛を解き、独自の「動機」を尊重する
「現実を完璧にコピーしなければ価値がない」という狭い考え方から自分を解放することを説いています。
- 「モチーフ」の理解: 重要なのは「実在の場所とどれだけ一致しているか(モデル)」ではなく、「自分がなぜそれを作ろうと思ったか(モチーフ)」という抽象的な動機です。
- 自己満足の肯定: 他人の評価や公式の真似ではなく、「ほかでもない自分自身がいつまでも眺めていたい」と思える1枚を撮ることを究極の目的としています。
- ゲームを「ボードゲーム」として捉える客観性
「A列車で行こう9」というソフトを、完成された作品として受け取るのではなく、あくまで「盤と駒」という自由な枠組みとして捉える姿勢です。
- 自由度の再認識: 与えられたパーツをどう組み合わせ、どう「表現」するかはプレイヤーの自由であり、その自由を使いこなすための知的な努力(芸術的視点)を重視しています。
- 謙虚さと「普通」の定義
何かを完成させたときに、それを「神業」のように特別視したり、過剰に賞賛し合ったりする文化に疑問を呈しています。
- メーカーへの敬意: 「作れるように設計されたソフトで、実際に何かを作る」のは、メーカーの意図通りに遊んでいる「普通」のことであり、それを誇張することは開発側の努力を軽視することに繋がりかねないという視点です。
- 淡々と取り組む: マップ作りを「特別なイベント」ではなく、日々の誠実な調査と構築の積み重ねとして捉える冷静さを求めています。
- 「面倒」を楽しみ、時間をかけるコスト意識
現代のタイパ(タイムパフォーマンス)重視とは真逆の、「2日間かけて画像を検索する」ような手間を惜しまない姿勢を評価しています。
- 8秒対2日: 誰でもできる数秒の検索で満足せず、自分の知識のバイアスが消えるまで時間をかけて対象と向き合うことが、結果として唯一無二の表現を生むと説いています。
arx.neorail.jpが求めるマインドセットとは、「甘えを捨て、データに基づき、自分の感性(動機)に対して誠実に、しかし冷静に作業を積み重ねる」というプロフェッショナルな姿勢です。
このマインドを持ってマップ制作に臨むことで、単なるゲームのプレイ体験は、自己の精神を磨く「表現活動」へと昇華されます。──リテラシー
このページの議論は、「情報の扱い方一つに、その人の人間性と知性(リテラシー)がすべて現れる」という厳しい認識に基づいています。
- 「普通」の再定義
筆者は、マップが作れる人を「想像力が豊かな人」と呼ぶことを明確に否定しています。必要なのは「ふつうの社会人の情報検索スキル」であり、それは「義務教育や情報教育を受けた者なら誰でもできるはずの基本動作」であるというスタンスです。つまり、「周囲の(調べようとしない)水準が低すぎる」という認識です。- 「面倒」というハードル
「2日間かかる情報検索」についても、それを特殊な努力とは見なさず、「単に面倒なだけで、誰にでも可能な作業」として提示しています。これらは知能指数の問題ではなく、「やるかやらないか」という極めて単純な行動の基準です。
- 8秒で終わらせたいという「怠惰」を排し、必要な時間をかけること。
- 「18点集める」という、単調で機械的な作業を完遂すること。
- 社会人としての「規律」
「知らなかったという言い訳は通用しない」「見苦しい」といった表現に見られるように、ここでの議論は「芸術論」ではなく、「社会人としてのマナーやリテラシーの範疇」で語られています。
- 道具(ゲームソフト)を使いこなすために、その説明書や背景情報を自分で調べる。
- 他人に依存せず、自立して遊ぶ。
「特別なことは何も求めていない。ただ、やるべき調べ学習をサボるな」という、厳格なまでの「標準」の提示と言えます。これは、マップ制作を「夢想家の遊び」から、「健全な大人の知的習慣」へと引き戻そうとする試みです。
──むしろメーカーこそが
メーカーが「特別な才能がある人しか遊べない」という空気を醸成し、ユーザーが互いにほめちぎり合う(閉鎖的な)コミュニティに甘んじている現状を危惧しています。
メーカーが「普通に遊べる標準的な導線(適切な資料提供やパッケージ表現)」を整えないから、ユーザーが「想像力」という言葉を隠れ蓑にせざるを得ない状況を生んでいるのではないか、という問いかけです。このページは、ユーザーに対して「社会人の基本スキルを持て」と厳しく説く一方で、その鏡合わせとして、「メーカーこそが、社会人のプロフェッショナルとして、自社ブランドへの責任と知的な誠実さを取り戻せ」という、強烈なメッセージを突きつけています。
「次回作には期待したい」という言葉は、現在のメーカーの広報・デザイン姿勢に対する、ファンとしての切実な引導とも言えるでしょう。──ありがとうございました。(※この検索は2026年1月20日に行ないました)
(このサイトの初版公開:2018年8月1日、地域の土地利用の初出:2018年9月28日、地形が気に入らないときはの初出:2019年7月1日、駅名のつけ方の初出:2020年2月10日)
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