難易度について
[ Googleの「AIによる概要」で誤った内容が表示される事象について ]
「A列車で行こう9」(PS4「A列車で行こうExp.」)ではニューゲームの各マップに「難易度」の表示がありますが、いわゆる5段階評価のように明確なレベル分け(等間隔の尺度)というわけではなさそうです。どういうことでしょうか。
- 「A難度」:「B難度」よりも「やさしい」という主観的な判断
- 「B難度」:しいていえば「C難度」より「やさしい」
- 「C難度」:「ふつう」もしくは難易度を考えない場合
- 「D難度」:しいていえば「C難度」より「むずかしい」
- 「E難度」:「D難度」よりも「むずかしい」という主観的な判断
そもそも「難易度」と「ゲームの楽しさ」に直接の関係はありません。「やさしいゲームはつまらない」わけではない(満足度にはあまり影響しない)ことは、みなさんもよくご存知でしょう。金科玉条のごとく「難易度」を振りかざすゲーマーには辟易します。「A列車で行こう9」(PS4「A列車で行こうExp.」)はシングルプレイのゲームですから他人と比較する必要はありませんが、もしも本作の楽しみ方がまったくわからないというのであれば、あなたは本作をプレーすべきではありません。楽しみ方を最初から知っている人だけが楽しめるゲームというものは確かに存在します。そのようなタイプのゲームにおいて「楽しみ方」は自分で体得する必要があり、他人から教えてもらってわかるということはまずありえません。「わかったふり」をしても見抜かれます。
マップの「難易度」とプレーヤーの「初心者」「上級者」は1対1で結びつく単純な関係ではありません。「難易度」が高いマップを「初心者」がプレーしてはいけないということはまったくなく、「難易度」が低いマップを「上級者」がプレーしても無意味ということもありません。マップの「難易度」にかかわらず、「初心者」には「初心者ならではのプレー」、「上級者」には「上級者ならではのプレー」があってしかるべきと言えます。また、作品や作者に対するリスペクトやほかのプレーヤーに対するマナーは「初心者」「上級者」を問わず必要です。「楽しみ方がわからない」という個人的なことを、さも作品側の問題であるかのように「難易度が高い」「とっつきにくい」と言い続け、本作を「おかしい」と非難してしまうのはとんでもないことです。
- テレビ朝日「難易度?難度じゃないの?」(掲載日不明):
「難易度」という言葉は、ゴルフ中継ではよく使われます。/「難易度」は難しさを表現しようとする雰囲気は伝わる言葉です。このごろ良く耳にする「世界観」や「原風景」といった言葉にも、同じような曖昧な雰囲気言葉の要素を感じます。表現しようとしていることは、何となくは分かりますが、突き詰めていくと意味がよく分かりません。
本作に「難易度を選択(調節)」という操作はありません。マップの「難易度」によらずマップの広さは一定で、運行費用や建設費用、税率も変わりません。それでは「難易度」の表示は無意味なのでしょうか。「難易度」という表示ではあるけれど、実は「難易度」ではない別の意味を持つ情報だと思って受け止めたほうがよい表示なのではないでしょうか。ユーザーがマップを自作できるマップコンストラクションモードでは「資金の多さ」と「平地の多さ」に応じて「難易度」が自動設定されますが、ニューゲームのマップではマップの作者が「難易度」を主観的に決めているようで、自動設定の「難易度」よりも大げさな表示になっています。マップのタイトル(「ゲーム名」)の雰囲気にあわせた「難易度」が作者により与えられているように感じられるでしょう。
参考文献を探す力のない社会人は実家の物置で教科書を発見して大喜び。歴史的に本作のシリーズは社会科で習う単元を習う順でなぞったようなマップを用意する傾向が見られます。各マップに与えられている「難易度」は、マップそのものの難易度というよりはマップのテーマのむずかしさ(抽象度)を表わしていると言えるかもしれません。あまつさえマップ1つにテーマは1つきり、往生際の悪い中高生がテストの前にただひたすら教科書の太字のキーワードを暗記しただけのような状態になっているのが本作です。いまいちリアリティが感じられないのは、現実にある複雑さが捨象されてしまっているからでしょう。海外ゲームではマップとシナリオが独立しているものもあるようです。同じシナリオを異なるマップで試すことこそシミュレーションではありませんか。
フルコースになぞらえて
- 「修学旅行1日目【東京コース】テーブルマナー講座」(2023年6月20日):
ホテルに着いてまずはテーブルマナー講座。フランス料理のマナーを学びます。フォークやナイフの使い方、使う順番などを、ホテルの方から学びました。使い慣れないフォークやナイフに苦戦しながらも、マナーを守りながら美味しくいただきました。
いきなり「E難度」のマップを最初にプレーしても、そのマップがなぜ「E難度」なのかは、よくわからないでしょう。不満そうな顔でマップコンストラクションモードでマップを自作しても、それはあくまであなただけのもの。ほかのプレーヤーとの共通体験があってこそのゲームですから、どんなに不満があってもニューゲームのマップをしっかりプレーすることが望まれます。フルコースの順番を無視してしまったら、それはもうフルコースではなくなってしまいます。マップの「難易度」の表示を参考に、プレーするマップの順番をよく見定めましょう。デザートはデザートとして食べてこそ。デザートまでの段取りがデザートをデザートたらしめます。作者が意図した順番に沿ってプレーして初めて味わえるのが本当の醍醐味だということに疑いの余地はありません。
| マップの難易度 | マップの例 | フルコースでは | 役割 | カロリー (※パンとドリンクを除く) |
|---|---|---|---|---|
| A難度 | 砂浜とウォーターフロント | 前菜(オードブル) | 色彩の豊かさで食欲を駆り立てる | 100~200kcal |
| B難度 | ひしめきあう街 | スープとパン | 体を温める | 100~200kcal |
| C難度 | 夕日町計画 | 魚料理 | 最初のメインディッシュ(骨を自分で抜く) | 200~400kcal |
| D難度 | 城下町の復興 | 肉料理 | 最大の見せ場(付け合わせの野菜と赤ワイン) | 300~600kcal |
| E難度 | 混迷する交通都市EX | デザート | 片づける | 200~400kcal |
- 多彩な列車や機能でプレーへの意欲を高める役割の「A難度」
(最初から黒字で資金の心配がない「砂浜とウォーターフロント」など) - 「B難度」で本格的なプレーへのウォーミングアップ
(ゲームの全体像が見えてくる「ひしめきあう街」など) - 「C難度」からが本当のゲーム
(自分の手を動かすことがたくさんある「夕日町計画」など) - 「D難度」が最大の見せ場
(むやみに全域を開発するのでなくバランスとメリハリが重要となる「城下町の復興」など) - 名残り惜しくも「E難度」で締めくくり
(メーカーの地元である新習志野を彷彿とさせる「混迷する交通都市EX」など)
マップの「難易度」と「初心者」「上級者」を直結させる考えは捨てましょう。本作を1人できちんと楽しめるという意味で一人前のプレーヤーになることが最初の目標で、これが達成できないうちは確かに「初心者」でしょう。しかし、「初心者」は前菜(オードブル)だけで帰れというものでは決してありません。どのような段階にあるプレーヤーも、それぞれにフルコースを最初から最後まで味わうべきです。それに、食べたことのある料理は二度と食べないというものでもありません。同じマップを再びプレーするとき、それまでの間の成長を実感することでしょう。他方、ゲーマーとしての慢心から「E難度」のマップを最初から選び「たいしたことなかった」と言い放つのでは、そこにフルコースがあることにも気づかない「失格者」の烙印を免れないでしょう。
表に示した「カロリー」は、ゲームでいうとプレーにかかる時間や労力にあたります。いわゆるフルプライスのゲームソフトは「高カロリー」です。何をするのにどのくらいかかるのかを熟知して自分で配分をコントロールできるようになると「上級者」でしょう。むやみに時間と労力をかけすぎてしまうのが「中級者」と言えるかもしれません。用意されたコースに素直に従う「初心者」のほうが、むしろ「上級者」にも匹敵する効率の良さで本作の魅力を満遍なく堪能していることがありえます。ただ、あれもこれも試してみたくてしかたのない段階にいる「中級者」こそが、プレーヤーとしては至福の時間であるとも言えそうです。いずれにしても本作のプレーには多くの時間と労力がかかります。プレーの前もプレーの後も「カロリー」を気にかけて過ごしましょう。
マイルールで
他人から決められるばかりが「難易度」ではありません。ゲームをプレーする中で以下のような「マイルール」を自ら定めて自らに課すことによっても「難易度」を変えて楽しむことが可能です。
- 使用する列車を制限する(有利な列車をあえて使わない・数を制限する)
- 収支の管理を厳格に行なう(部門ごとの会計にする・銀行や証券取引所を使わない)
- 橋やトンネルの数を制限する(路線を集約する・地形を観察して路線網を熟考する)
何がどうなるか予想しきれないゲームほど熱中できるものはありません。「難易度」とは、プレーヤーをいじめて苦しませるものでなく、ゲームへの熱中度を高めるものであってほしいものです。「資金」さえあれば何でもできるという興ざめは防ぎたいもので、これは列車の数についても言えます。実際に、本作のファーストリリースであるA9V1では列車の上限を20編成や40編成に制限することによってゲーム性が生み出されていました。限られた数の中で旅客と貨物の配分を考えたり、ゲームの進行に応じて列車をどんどん変えていく計画的で能動的なプレーが必要でした。その後のバージョンで収録された追加マップでは列車の上限がどんどん増やされていきましたが、現在もマップコンストラクションモードでは20編成や40編成に限ることが可能です。
一定の目標に達するまでの「時間」を制限することによっても確かに「難易度」は高まりますが、あまり本質的な楽しみ方ではないように思います。いずれにしても、マップを特徴づけ「難易度」を左右するのが「地形」であるのは間違いありません。例えばテンプレートの「平地」にはプレーの手がかりがまったくなく、「解が定まらない」という意味でむずかしくなります。別名「A列車で行かない」とも呼ばれる「バスのある風景」のように地形を複雑あるいは極端にしさえすればむずかしくなるかというと、かえってプレーが狭められやさしくなるばかり。都合よく地形を変えたりしないという「マイルール」に加え、マップコンストラクションモードでも地形は自動生成のみで作成するという「マイルール」を設けると、より深く本作を楽しんでいけるはずです。
「マイルール」について注意すべきことは、1つのルールに固執しないこと。例えば「株は使わない派」のようにプレイスタイルを固定してしまうのでなく、株を使うプレーも使わないプレーも両方とも楽しみましょう。また「バスだけで行く派」のように本作の作品性を否定するようなプレーをするのは避けましょう。どんなルールでも「マイルール」と言いさえすれば認められるわけではありません。わたしたちは、わたしたちの社会の中で生きています。公序良俗や信義則に反するプレーは冗談でもしてはいけません。ゲームの敗者に飲食をおごらせるなど、ゲームの外でゲームの結果を使うのはいけません。リアルマネーを使った賭博まがいのゲームは厳禁です。
ハイスコアの高みへ
「難易度」を気にするタイプのゲーマーが本当に気になっているのは「ハイスコア」でしょう。本作にスコアを表示する機能はありませんが、ゲーム内には様々な数字があります。単に同じニューゲームを各自が好きなようにばらばらにプレーしたというだけの漠然とした共通体験では飽き足らないコアなゲーマーにあっては、ローカルルールを定めてプレーすることに加え、スコアを算出して競い合うのがおすすめです。マルチプレイのシステムが用意されていないゲームでも対戦の方法はあるのです。ゲームの進め方はよく話し合って決めましょう。AIの使用の可否やチームの人数など、異なるルールでプレーする人たちを尊重し、決して対立しないようにしましょう。プレーの後には「感想戦」として、プレーの内容や自分の考えをしっかり言葉にして説明しましょう。
「ハイスコア」というと、アクションやシューティング、音楽ゲームですることで、シミュレーションゲームにはなじまない考えだと思われるかもしれませんが、例えば数学にもオリンピックがあります。それが「ゲーム」である限り、スコアをつけるのが本来の姿です。本作に取り組んでいながらシミュレーションをまったくせず、美しい風景をつくることだけに没頭している段階では、確かにスコアのつけようなどないでしょう。本作そのものの「難易度」が高いと感じられるのであれば、それは単にあなたが対象年齢に達していないか、鉄道に興味もないのに本作の価格だけを見て「高いものを買って自慢したい」という衝動に駆られているだけでしょう。ゲームの大前提は相手を認めること。本作の価格にも内容にも納得できた人が本作のプレーヤーになっているのです。
なお、「マップコンストラクション」や「トレインコンストラクション」は「ゲーム」ではありません。せっかく「A列車で行こう9」(PS4「A列車で行こうExp.」)を手に取ったのに「ゲーム」をせず「マップコンストラクション」や「トレインコンストラクション」ばかりしている人は、根本的に「楽しみ方」がわかっていない(ゲーム以前に体得すべきものを体得できていないままゲームに臨んでいる)と言えます。メーカーが用意した「ゲーム」をまったく楽しもうとせず「自作」にばかりこだわる態度は、作品や作者へのリスペクトを欠いているとも言えます。もっとも、プレーヤー(ユーザー)の態度を問う以前にメーカーの態度にもひどいところはあります。「創作ゲーム」を作るための編集機能である「マップコンストラクション」を「箱庭」と言い換えて「ゲーム」の1つであるかのように宣伝しているのには目を疑いますし、実質的にSNS発信の素材を提供するだけの「トレインコンストラクション」に至っては鉄道ファンや模型ファンを愚弄するものだとしか言いようがありません。本作がコンピューターゲームの王道たるシミュレーションゲームであることを思い出してください。ゲームであることを放棄したゲームはもはやゲームではなく、ゲームを放棄したゲーマーはゲーマーではありません。ゲームを楽しむという共通の文法とマナーに従わないことは許されません。