路線図のデザインには商標的な機能が生じる。見慣れた路線図は見やすく、見慣れない路線図は見にくい。デザインの勉強や練習に実在の鉄道路線を使うことは避けてほしい。(最終更新:2024年12月3日)
地下鉄や私鉄では、踏切にかかる交通安全教室や社会科の乗車体験などで児童に配る非売品の「下敷き」を用意していたところがたくさんありました。その後、公式グッズとして市販しているところもあるでしょう。
ネットで検索すると、「地下鉄路線図の書き方」と題してツールの操作方法の説明に終始する記事や、「世界の美しい地下鉄マップ」という題でひたすら美術作品の1つとして路線図を愛でるだけの図書といったものが見つかります。路線図は、子どものうちから目にするもので、美術に限らずいろいろな科目の教科書や試験問題などで取り上げられることがあるものです。それだけに、路線図はこういうものだということを言語化しないままなんとなく承知しているだけであるにもかかわらず、自分は路線図についてよく知っていると錯覚してしまう人が非常に多いと思います。
路線図はグラフィックデザインでありDTPであり印刷です。そのいずれも、専門的に学ばない限り仕事にならない、とても専門性の高いものです。わたしたちの社会は、さまざまな専門家や専門職の人々によって支えられています。そのような専門性へのリスペクトを欠き、何も学ばないで拙い図を勝手にこしらえ、自慢げに披露するということは慎まねばなりません。また、ファッションのようにロンドンの地下鉄の路線図でサンドイッチを包むようなことも、ほどほどにしたいものです。
路線図に関するリーガルな話題(1)
路線図は何のために描くのか、路線図を描いてよいのは誰か。路線図は、一義的には鉄道事業者の財産である鉄道路線を描く図です。外国の調査船が勝手に領海に入ってきて海図を作成したら、どうでしょう。いわば他人の家の見取り図を勝手に描いてはいけないように、路線図は鉄道事業者だけが描いてよいものだとする考えかたも成り立ちます。路線図は無料で配布されていますが、無料ではありません。鉄道は公共交通機関ですが、路線図はパブリックドメインではありません。無料で配布されているものは自由に使えるという誤解が蔓延しています。鉄道事業者が作成して配布している路線図は自由に使える「素材」ではありません。あなたが好き勝手に切り刻んだり、他人に見せながら何かしゃべって入場料を集めたり酒をおごってもらったりしてよいものではありません。動画で流行りの「歌ってみた」「踊ってみた」は「実演」にあたり、著作権の使用料は動画サイトが負担しているので問題ないですが、市販の製品などを「買ってみた」「食べてみた」、有名な場所やイベントなどに「行ってみた」というだけで動画にするのはグレーです。作品を出版したり個展を開いたりするプロの中にも、市販の製品などを並べて写真に撮るだけで新たな作品としてしまう人がいますが、かなりグレーです。何の変哲もないパンや野菜を並べるのはよいですが、プラレールやNゲージ、ひいては任天堂のゲーム機やゲームのキャラクターの人形などを並べるのはアウトです。その場では金銭のやりとりがなくても、職業的に作品を発表する人が他者の作品や製品をどう扱うのかを、人々はよく見ています。ことさらに先鋭的にグレーなことをしてみせてこそ芸術表現だと考える人もいますが、社会通念上、決して感心されるものではありません。美術の教科書のキャンベル・スープに心酔して猿真似するのでは不勉強の度が過ぎます。当時とは商標やプロダクトデザインが持つ経済的価値の大きさが桁違いで、芸術活動もまた市場経済に組み込まれた現代において、昔と同じことはできません。本物の路線図そっくりの図を勝手に描いてしまうという単純な著作権の問題のほかにも、考えるべきことがたくさんあります。
鉄道は国の免許による事業であるほか、地域の鉄道については県庁に担当部署が設けられています。鉄道というものに関して、県庁は直接の当事者です。埼玉県が描く路線図は埼玉県内だけを切り取ったものになっており、路線図としては極めて珍しい正方形に近い縦横比となっています。埼玉県の図では河川は描かれていませんが、大都市の大きな河川では、道路よりも鉄道の橋のほうが人員の通過量(交通)が多く、県の担当部署としては鉄道の橋にも道路と同じだけの大きな関心を持っているはずです。
営業エリアが非常に広いJRでは、ある程度の範囲ごとに支社が設けられ、本社から権限が委譲されています。支社ごとに路線図を描くというのは、以前にはあまりなかったかと思いますが、最近では「大宮周辺路線図」という大宮駅を中心に概ねさいたま市内を切り取ったかたちの路線図が新たに見られるようになっています。千葉市はモノレールだけでてんてこまいでJRの千葉支社は千葉県のキャラクター「チーバくん」を使うばかりですが、横浜支社では川崎市との連携を深めて南武支線への新駅設置も行なわれています。支社が政令市の市内だけを切り取った路線図を描くというのも、支社と政令市の協働が進められた結果の1つなのでしょう。
ただ、この「大宮周辺路線図」は、「画としてのデザイン」の部分部分のパーツはJR東日本そのものですが、このような範囲を狭く切り取った路線図というものは多くの人にとって見慣れないものであり、これが路線図だということがパッとはわからないでしょう。わかった上でなお、この路線図から情報を読み取るときの心的負担は、見慣れた路線図の場合よりもはるかに高いでしょう。路線図は斬新である必要もカスタマイズする必要もなく、ずっと同じものが安定して提供されることが何より重要だと再認識できる事例ではないでしょうか。埼玉県の路線図は埼玉県の事務において使われるだけのものなので独自のデザインで問題ありませんが、駅に掲出する路線図を支社のレベルで独自のものにしてしまうのは問題があると感じます。
高尾駅線路切換工事にともなう振替輸送について説明する図では、工事箇所の管轄である八王子支社の管内が図示されています。利用客は東京や横浜や大宮から八王子へ向かおうとして戸惑うわけですが、この図に東京や横浜や大宮は記載されません。支社が異なるからです。
路線図として見たときには「大宮周辺路線図」に負けず劣らず見慣れない図ということになりますが、これは常設の掲示物ではなく工事のチラシやポスターに刷られて配布されるものですので、紙面の都合上、このようなデザインになることは許容されるわけです。通常のデザインとはかなり異なりますが、工事のチラシやポスターに限っては長年、同じデザインで一貫して制作されているので、このデザインを見てJR東日本の工事のチラシやポスターだと識別できるという識別性は、すでに確立されていると思います。
駅での情報提供のニーズは地域によりかなり異なりますので、それに応えることが大切なのは言うまでもありません。ただ、「表」という形式になっていない運賃表(※それでも「運賃表」と日本語では呼びます)を「Table of Short Distance Tickets Fares」と直訳するのは感心しません。「Intracity Ticket Fares」でよいのではないでしょうか。(※「特急料金」などを含まないベースの「運賃」が「Fare」で、アディショナルの「特急料金」などは「Fee」といいます。)PCゲーム「A列車で行こう9」の『路線図』を描く人の中には、なぜかJR九州の「近距離きっぷ運賃表」そっくりのデザインでしか「路線図」を描けない(それ以外のデザインを知らない)人がいるように見受けます。きっとJR九州の「近距離きっぷ運賃表」しか知らないのでしょう。JR九州の管内では、いわゆる路線図というニーズ(デフォルメしないとわからないような複雑さ)がありません。たいていの場合は、「2枚・4枚きっぷのご案内」のように九州全体の地図に路線を示した図になるでしょう。JR九州の「近距離きっぷ運賃表」だけが「路線図」っぽく見えるとは思います。しかし、これは「路線図」ではないのです。JR九州の管内で素朴に鉄道を利用するだけでは「路線図とは何か」ということは体得しにくいといえるでしょう。
1989年4月に政令市に移行した仙台市による「JR仙石線連続立体交差事業」で地下化されたJR仙石線の榴ケ岡駅では「仙台周辺路線図」が掲出されています。見るからに古そうなので、おそらく2000年3月11日の地下駅の営業開始時からあるものでしょう。ただ、どうもJRっぽくないデザインに見えますので、この掲示物は道路特定財源を活用しつつ仙台市の責任で制作・設置されているのかなと思います。
成田空港は国の事業で、空港アクセス列車は国の責任で運行されています。空港第2ビル駅にも、JRのデザインではないサイン類がいろいろあります。「成田エクスプレス・快速停車駅案内」は、デザインはなんとなくJRですが、この内容を電照式で掲出するというのがJRっぽくありません。国の指示でJRが制作・設置したものだろうと思います。
掲示物の内容は路線図なのですが、これはJRがJRの責任で掲出する路線図ではないでしょう。沿線自治体(浦安市・千葉県企業庁・千葉市)が駅に広告を出しているという扱いではないでしょうか。「東京ディズニーランド®」は漁業権の一部放棄と引き換えに浦安市が獲得した公園です。成人の日に浦安市が我が物顔で使えるのは、このためです。
JR伊東線は伊豆急行線と一体的に運行されており、伊豆急行の車両にはJR伊東線を含めた「路線図」が掲出されています。
路線図に関するリーガルな話題(2)
路線図というものを漫然と愛でるのでなく、何者がいかなる権限で、いかなる財源で、その路線図を作成・掲出しているのかを意識するようにしてください。例えば、質問回答サイトで他人のために旅行の旅程表を作成・提案したり、実際には不可能な日程の「旅行記」(実際に旅行せず資料写真を並べただけで創作された記事)をブログに掲載したりすれば、おおらかな気持ちでは旅行業法に違反してしまいます。旅行業法は、そもそも旅行者の安全を確保するための法律です。日程に無理があれば疲労や不注意による事故や遭難のリスクが高まってしまいます。旅程表の作成には重大な責任が伴うのです。具体的な法令がなくても安全に配慮する義務は広範に認められています。なにげない言動でも民事上の不法行為になってしまうものは多々あります。路線図に間違いがあって日没や終電までに目的地に着けない人が出ては一大事です。路線図を勝手に自作や改変、ましてやジョークのつもりでも「ニセ路線図」の画像を作成して流布するのは許されないという考えは、このような道すじで導出できると思います。このサイトの「駅名のつけ方」のページでは「知的財産の種類とコンプライアンス」についても紹介していますので、そのようなリーガルな話題を学校や職場で聞いたことはない(聞かされても聞いていない)という方は、必ず読んでください。ここで述べた「あれは誰それの持ち物」「金の出どころはどこそこ」という話は、単なるトリビア(珍しい話や面白い話)やゴシップ(興味本位のうわさ話)ではなく、このようなリーガルな話題を扱っていく素地を養ってもらいたいために載せておくものです。高等学校の「理数探究基礎」で習う「研究倫理」にも通じるものです。
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